12月18日(月)
特定の単語や状態に敏感に反応するような人の行動を散々に見たり聞いたりしたあと、最近の釣行時に考えていたことを再び頭に浮かべたりする。
基本的に、魚のことを考えたりする時に、魚を擬人化して考えるというようなことはよくやる。もちろん、これが、結構な間違いのもとだとわかってはいながら。
もちろん今さらながらも、どっかの水産学部かなんだか知らんが、そうしたところで魚についての科学的知見に基づいた正確な知識を基礎からしっかり学んでいきたかったとも、ふと思う。
ただ、ふと思ったぐらいで、できることではないから仕方なくも、現状は自分の体験をベースとして、けっこうな自分の思い込みをつつ、ちょこちょこそれらしい知識をつまみ食いしながら、多少なりとも自分がよく知っていると思ってるいることを利用して、いかにももっともらしい全体像を作るということをやってはいる。
ただ、だからといって、すぐに人の行動と魚の行動を結びつけてしまうのは、なんとなく気がひける。魚を擬人化することはあっても、人を擬魚化??することにたいする抵抗感はある。
それは、正しい正しくないというレベル以前の問題からして。
人によっちゃ、擬人化も擬魚化もたいしてかわらんだろうというのかもしれん。というのも、自分でも書きながらうまく整理できないところがありはするので。が、こういうある種の細かいところに拘りを見出してしまうのが、仕方のない自分の性格だ、と、単純にいえることでもない。
釣りに再び熱中しはじめてから、やけに着る服がユニクロばかりになった。いまも下から上まで全部ユニクロ。下着も含めて。
服装に無頓着になったわけではないが、手軽さと機能性を、より手っ取り早くなおかつ暖かいものをと服を選んでいくと、自然にそういうところへ落ち着いてしまっていたらしい。下着はともかくとして。
釣りをするぐらいなら、アウターとインナーをそれなりに本格的なもので揃えさてしたら、冬でもユニクロで十分なんとかなる。なってしまうので、油断するとついつい。去年と今年の年明けから春にかけて揃えたいくつかの冬物の服を、殆ど着ていないのがもったいない。
ところで、例え優れたユニクロだとはいえ、琵琶湖で沖へ出て湖上をボートで走りまわるなり、ウェーディングで腰付近まで水に浸かり殆ど動かないまま数時間を過ごすとなれば、話は別。そこまで辛い寒さに身を晒すとなると、相当しっかり着るものを選ばなければ、というか、お金をたっぷりかけないと、快適に過ごすことは難しい。
昔、真冬のとある釣り場で、かなり大きな革ジャンを羽織ってサングラスをかけたまま釣竿を側に置いてじっと座っている釣り人を見たことがある。釣り人の年齢はよくわからない。あと、夜なのにサングラスをかけているのが不思議ではあった。
その時、わざわざ真冬の釣り場にそんなオシャレをしてくる必要があるのかといえば、たぶんないのだろうけど、だからこそあえて自分のスタイルを貫き通すことがカッコいいのだと、すこし思った。もちろん「怪しい人だ」というのが感想のうち殆どを占めてはいたが。
と、同時に、いかにも相手を馬鹿にしたようなというか、相手が失礼だと感じるような感情が全くおこらなかったのは、自分がいい人だからというわけではないんだろう。
冬に、とくに冬の琵琶湖の夜に釣りをしていると、つらいことがいくつかある。ざっと思いついたのは下の3つ。
1.さむい 2.風がきつい 3.野生動物が出没する
さむいのは基本的に服装でなんとかするしかない。風がきついのは風裏に逃げるしかない。野生動物は近づかないか、逃げるか、襲われないように祈るしかない。
冬になると、山に食べ物がなくなるのか、よく人里近くに割と大き目の動物がおりてくる。特に山が近い湖西の北の一部や北湖の最北あたりもそうなんだろう。
何気にふりむいて猫がいるぐらいなら可愛いらしいもんだが、人並みかそれ以上の大きさの野生動物が、あるいは、そこまで大きくなくても数匹の群れの野生動物が、こちらをじっと見つめていたら、どうしたらいいのだろうかと、かなり悩む。
別に彼ら(彼女ら?)も好きでそうしてるわけではなく、だいたいが誰のせいでこうなったんだと、原因を考えると心苦しい気持ちが湧きはするので、なるべく身の安全は第一として、穏便に済ませたいとは思うのだけど。
それから、湖西や湖北ではなくとも、夜に車で道路を走っていると、彷徨うように動物が現れて危機一髪ということも結構ある。田舎ではよくあることだし、ちょっとした都会でもあったりする。
確か湖西道路の標識にも、そうした注意を促すものがあったハズ。
幸いなことに自分自身に何かが、というようなことになったことは今までに一度もない。お互い居るべきところというのが(自分の場合は帰るべきところというか)あるのだから、安全にいて無事にお互いの場所へ戻ることができるのが1番だというわけで、また、この冬も何もおこらないことを祈ってはいる。