1
目が覚めたときに「寝た子をおこす」というフレーズが浮かんで、何か妙に納得してしまう。子は確かに惰眠を貪っていたのかもしれないが、それでも見えないところでひっそりと静かに寝息をたてていてくれれば、それはそれで平和だったのかもしれない。
2
それが、一応はあるものとしての振る舞いが、暫く続いて、すると、あることが当然であるような慣れが身体に染み込んでしまう。本当は当然ではなく、いくつかの条件に支えられているだけのものなのかもしれないが。
あるものとされているものが、何かの拍子でなくなってしまった場合に、あって当然のものがどうしてないんだと、戸惑い怒り理不尽に感じたりもする。でも、本当は、それは当然のものでもなんでもないんだと、理解するのは難しい。そもそも、そういういったことを常に意識しろというのなら、一応はあるものとして振る舞う効果が、かなり薄れてしまうのではないかとは思う。
3
今日の目覚めはここ数日と比べてスッキリとした気分ではある。常時この状態が続いてくれるのであれば、今までにやりたくても上手くやれなかったことが、ずっと捗るだろう。ちょっとした希望。少しでも何かを積み上げていけているという実感が、もっと持てるようにはなりたい。
4
基本的に、人は日毎に調子の波が著しく振れないものだということを前提として、色々な物事が設定されているらしいことは、調子の波が大きく振れるようになって、嫌というほどに思い知る。昨日がああだったのに今日はこうだというのがなかなか受け入れられにくいものであるということ。ましてやほんの数時間前までは云々ならばますます、である。
不可抗力的に急激な変化に曝されたような状態のままでは、曝されているという事実以上に、そうであることから引き寄せられる不自由さを受け入れたくはないが、受け入れざるえないところが歯痒い。
だからこそ少しでもこの状態で安定してほしいと、本来なら特別なことでもないようなことを、だからこそ切実さを産み、願いを託すように文章を綴るが、はたして。
5
朝は冷え込むが日中頃は暖かくなる。そして夕方が近づく頃に風が強く吹き荒れ、気温以上に冷え込みを感じた。
6
気分転換も兼ねて暫く外の空気を吸っていると、幾つかの単語が思い浮かぶ。「おおかみ」「バケモノの子」「いぬ」。たしか「オオカミこどもと雨と雪」「バケモノの子」という映画があったものの、どちらもまだ観たことがない。ずっと1度は観たいと思っていた作品ではあるが。
両作品の映画の内容と、今日の夕方頃にふと浮かんだ「おおかみ」「バケモノの子」「いぬ」という単語のあいだにどのような関係があるのかは、実際に映画を観てみなければわからない。
7
あるいくつかの条件を満たさなければ成立しないようなもの。それが成立した当初は、条件を満たすべき環境が整っていたのだろうが、時間が経過するなどの変化に伴い、条件を維持することが難しくなってくる。
それでも無理に成立させようとするには、環境にそぐわないような、かなり歪な方法をとらざるえないということもある。変化を受け入れられないもの。混じりあうことがゆるされないものを、頃にでも成立させようとする時の、ある種のそぐわなさについて。