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映画を見に行くと、数日間内容が頭から離れないことがあり、あれはどういうことなんだろうな。と、考えたりしている。

映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」は、TBSだけが持っている実際の映像と、当事者や関係のあった証言者たちで構成された映画。三島由紀夫さん本人が、東京大学駒場キャンパス900号室で、東大全共闘を相手に、1000人以上の学生を前にして討論会を行った映像は、難しい言葉や概念が飛び交うなか、ユーモアや皮肉、ヤジや圧力が場を支配し、すぐにでも崩れそうなバランスが絶妙に取れていた、あるいは必死にバランスを取っていた奇跡の空間に圧倒されて、数日間頭から離れないほどの威力を、わたしに対しては持っていた。
他の人にはわからないけれど、思考の海を航海する人が多くいても不思議ではないし、三島由紀夫さんに惹きつけられる人もきっといる。
ちなみに、「奇跡の空間」とは映画内で出てきた表現。

映画を見た後、出て来た言葉をふらりと調べてみたり、振り返ってはやり取りの意味を考えていた。
安田講堂事件からの「解放区」。解放区についての討論。時間か空間か。継続性の提示と、ソレに重きを置いていなそうな主張。
作品は、歴史の中の一時か、持続か。
そんな類の言葉も聞こえても来た。
一体何を話しているのか。と思っていたが、討論相手が芸術家、その中でも言葉を使った表現者だと知って、ストンと納得した。

机の話からは、
机は机として作られたけれど、机という名前を与えられ、机という概念の中で使用されている間は机だけれど、そこから離れたら違うものにもなり得て、机は机という概念から離れたところに革命がある。
と、理解した。
ちなみに、全共闘の中ではバリケード役。

光。
光は、その人の持つ目的次第で何者も光になり得る。と知った。
討論の中では、コップでも。と。

思考の海には他の島も浮かんでいるけれど、ひとつの映画からこれほどあれこれ考えを巡らすとは思わなかった。
学生運動の存在はおぼろげに知っている程度で、全共闘も、三島由紀夫さんの主張も作風も知らない状態ながら、予告映像で見た三島由紀夫さんの言霊を聞いてみたくて行っただけだったのに。
けれど、言葉で、存在で人を惹きつけることができる力を持つ、それが三島由紀夫さんという存在なのかもしれない。だからこそ、50年経った今、秘蔵映像が世に出てくるし、世界に翻訳される作品が数多くあるのだろう。

と、こんな論調の文章を久しぶりに書くほど、この映画の余韻が残っている。