昨日の午後からのことを書こう。午前中に国東半島をドライブした後、最寄り駅で再び特急ソニックに乗り、大分をあとにした。小倉で下関行きの電車に乗り換え、16分で懐かしの下関駅に到着した。下関駅改札辺りは、当然ながら私が短大に通っていた46年前と様変わりしている。昔は古いお土産屋さんが軒を並べていたのを思い出す。そういえば、短大時代に、駅前の洋服屋さんでアルバイトしたこともあったなぁ。

 

 私は、今回、大分から関西に帰る途中で、どうしても下関に寄りたかったので、夫にこの旅の計画を前々から話して了解してもらった。下関駅からサンデンバスに乗り、関門海峡を車窓から眺めること20分。バスは、スピードを上げて、海沿いの国道9号を飛ばす。私はこの海を見たかった。ずっとずっと大切にしてきた下関の思い出と共に海を見たかったのだ。そんなことを考えていたら、バスは唐戸市場から赤間神宮を通り、壇ノ浦を過ぎ、長府鳥居前に着いた。

 

 鳥居前は、かつて私の通った高校がある。友人と待ち合わせして、学校までの道を笑いながら歩いた。学校帰りには、バス停前にあったお店で、お好み焼きを食べた。高校時代も食べることには貪欲な私だったのだ。女子校だったが、近くの男子校生に憧れて、楽しい生活を送った。新聞部に入り、文章を書くことが好きな夢見がちな少女だった。

 

 鳥居前、この町を歩きたかった。忌宮神社と乃木神社で御朱印をいただき、乃木神社の神主さんと30分くらい長話をして、お茶する時間が短くなったけど、当時から人気のあったケーキ屋「でせえる三好」でケーキとコーヒーをいただいて、懐かしさでほっこりした。高2のとき、先生から許可を得てアルバイトした世良肉店は、日曜日でお休みだったが、しっかりお店が残っていた。

 

 鳥居前から次の目的地へタクシーに夫と二人で乗り込んだ。タクシーの運転手さんは、話をしていると、関西出身で甲子園の近くに昔住んでいたと分かり、皆で関西話で盛り上がる。タクシー運転手さんにお願いして、新下関駅近くにあった、実家に連れて行ってもらった。すでに父母は亡くなり、その跡地には新しい家が建ち、知らない人が暮らしていた。私は自分の目で、もう私たちが暮らした家が存在しないことを確認したかった。まるで違う世界にやってきたような錯覚になったけど、これが現実。私は、現実を受け止めよう。そう思った。ここに来てよかった。もうここにはないとはっきりしたことで、下関の家の思い出が、私の心の中で居場所をみつけ、落ち着くことが出来たような気がした。つまり、自分の中で納得できたのだ。

 

 そのあと、新下関駅でお土産を買い、関西行きの新幹線に乗り込んだ。思い出をたどる、私のわがままな旅に付き合ってくれた夫に感謝である。ありがとう。

 

昔を振り返るとこんな歌を思い出しました。

ザ・フォーク・クルセダーズ 「悲しくてやりきれない」

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