愚かな少年
<第14章>こころの穴
1、
あの東日本大震災から、もうどれほどの歳月が経ったでしょうか?
ぼくの暮らす神奈川県の伊勢原市でも物凄いゆれを感じました。
被災地のような大津波の被害もなく、原発事故の影響もなく、こんな言い方をするのはたいへん申し訳なく思われますが、ぼくは、家族や友人、そして多くの大切な宝物も失わずにすみました。
そんなぼくに対して、
「なんの被害もなかったオマエ見たいなヤツに何がわかるって言うんだ!」
と、怒りをあらわにする方もおおぜいいらっしゃると思います。
しかし、これは比べることだと思いますが、一人の人間として、ぼくのこころも、とてつもない悲しい記憶で支配されています。
なぜかと言えば、(2013年3月12日)最愛の母をなくしたからです。
ですのでぼくのこの『愚かな少年』の最後に「母」のことを書かせていただきたいと思います。
『愚かな少年』のテーマからは大きく話が違ってしまいますがどうかお許しください。
また、母への想いは、ぼくのこころの中でぐちゃぐちゃになってしまっているので、文章が支離滅裂になってしまっていると思われますが、それについてもお許しください。
2、
母は、三十六歳の時にぼくを産んでくれました。そして七十三歳でこの世を去りました。
おさないころからぼくをとても、深く、深く愛してくれました。
まるで、ぼくを愛するがために生まれてきたような人でした。
そんな母が他界したのは、
「三月十二日」
です。
東日本大震災の大きな悲しみを抱く方のほうがもっとつらいことだと思いなさい。わたしの命など対して価値はないのよ。そう言わんばかり、母は、昼寝でもするかのように静かにこの世を、去りました。
ぼくに。
『優』
と言う名前をつけてくれたとおり、ぼくに「やさしさとは何かを教えてくれた人でした。
「何かを失うことは何かを得ることだ」
多くの人がくちがすっぱくなるほどその言葉をくちにします。
母を失ったぼくは、いったい何を得たのでしょうか?
被災された方々の中ににも、伊勢原に避難されて来ている方もいらっしゃると聞いています。
自我と感情の芽生えて間もない小さい子や、毎日楽しく遊んでいた友だちと別れ、何も知らない場所に移り住むことは、どれほど不安で、どれほど孤独で、どれほどおっかないことでしょう?
友だちはできたでしょうか?
「被ばく者」
と、呼ばれて、いじめられたりしてないでしょうか?
3、
ぼくが高校生だった時、似たようなことがありました。
ぼくが学校へと続くせまくて長い道を歩いてる時、数人の小学生が向かってきました。
その中に、一人だけ日本人ではない金色の髪と青い目をした子がいました。
ぼくと彼らがすれ違う時、その欧米人らしい少年がかたことの日本語で、
「おれ・友だちなって・よかった?」
と、日本の友だちに問いかけていました。
一緒にいた日本人の少年が何と返事をしたのか?
その答えを聞くことはすれ違ったあとだったのでわかりませんでした。
しかし、その外国人の少年の気持ち、みなさんもご想像いただけると思います?
誰も知らない国に移り住むことになった外国人の少年の気持ちと被災され非難しなければならなくなったこどもたちの気持ちは、それほど違うことではないと思います。
4、
母が他界して三ヶ月ほどたったころ、ぼくは、近所の本屋さんで働く若い女の子に惹かれるようになりました。それから半年以上のあいだ、ずっと片想いをしていました。
彼女を想うことが、母を亡くしたぼくのこころの支えになっていました。
ぼくは、無職です。
統合失調症と言うこころの病気を患っています。
そして家族は貧乏です。
そんな『三重苦』を抱えるぼくのような男に女の子を幸せにできるわけがありません。
しかしぼくは、彼女に想いを打ち明けられないまま、もしいなくなってしまったらきっと後悔するするだろうと思います。なのでみなさん、ぼくの恋がうまくいくように祈っていてください。
5、
フラれました。
彼女は近いうちに結婚するそうです。
ぼくはその絶望的な一言によって、ぼくのこころに大きな穴にひびがはいりました
そこから、金魚鉢のような容器を満たしていた希望の水がこぼれていきます。
ぼくはどうにかして「穴」を埋めようと、数年ぶりに禁煙を破って、こころの穴を埋めようとしました。
たばこの本数はどんどん増えていきます。
たばこを吸ったくらいで埋まるくらいの穴だったら、たばこなど必要ありません。
ぼくは、さみしいのです。
お父さんものんちゃんもいるのに、さみしいのです……
きっと、この穴が埋まることは一生ないと思います。
少年にとって、最大の喜びは、お母さんの「笑顔」をみることです。そのために夢を叶えたいとがんばるのです。
うまく言えませんが、夢を叶えることは「目的」ではなく「手段」です。
しかしぼくの母は、死んでしまいました。
この先の人生でぼくがどんな偉業をなし遂げたとしても、ぼくはその姿を母に見せることはできません。
これが人生の壁と言うものでしょうか? ぼくがその壁を乗り越えられないように、この、こころの穴を埋めることはできないのでしょうか?
そう思った時、ぼくは大学生だったときのことを思い出しました。
『あなたの理想の恋人はどんな人ですか?』
と言う課題に、
『人生は、乗り越えなければならない壁の連続だ』
と、回答しました。そしてぼくは、こう続けています。
「壁の前にはいつわりの幸せがある」その壁を越えると、もっと高い壁がある、乗り越えればもっと高い壁にぶつかる……。
そんなことをくり返しているうちに疲れ切った女の子に、
「もう一回、もう一回だけがんばってみようよ」
と励まして、どんなにつらくても一緒にがんばって壁を乗り越えてあげる。
そんな男になりたいと、ぼくは思ってきました。
そして今思うのは、ぼくが臆病風に吹かれて、いつわりの幸せに手を伸ばそうとしているぼくに、
「もう一回。もう一回だけがんばってみようよ」
そう言って、ぼくを励ましてくれる女の子がぼくの理想の女の子です」
と……
つまり、それが本当の恋愛だとぼくは言いたいのです。
しかし今はまったく逆のことを考えています。
『あ、そうか、壁なんて乗り越えなくてもいいんだ』
目の前にそびえ立つ壁が高ければ高いほど、その壁を乗り越えたとき完全燃焼するのだから。
そうかも知れません。
乗り越えられない壁があってもいい。
強がらないで、
「淋しい……」
そう言ってもいい。大泣きしてもいい。例えそれでこころの穴が埋まらなくても……。
6、
最後に、ぼくをこころから愛してくれた「母」のお話しをしましょう。
ぼくが幼稚園児のころのことです。
ぼくの家は貧しく、家の部屋数も少なく、夜ねる時は家族四人がならんで寝ていまいした。
ある一夜、ぼくの体が大きく揺さぶられました。
ぼくは半分目覚めた幼い頭と心で
「もっとねむりたいよぉ」
と眠り続けようとしました。時間にするとどれほどのものだったのでしょうか? 限りなく「ゼロ」に近い時間です。ふとんの中で起きるのをこばんでいると<ガバ>とぼくの上に何かがおおいかぶさりました。
「母」でした。
ぼくの体を大きく揺らしていたのは巨大地震でした。揺れはかなり長い間続きました。その時ぼくは幼すぎてわかりませんでしたが、母は、命をかけてぼくを守ろうとしてくれたのです。
その時のぼくには、わかりませんでしたがそれが、
「愛」
それを教えてくれた人でした。
しかしその母に会うことはもう永久に叶いません。
みなさんにもありますよね。
叶わなかった夢。
届かなかった願い。
実らなかった恋。
乗り越えられなかった壁。
守れなかった命。
止まらない涙。
こころの穴。
すべて、それでいいんだと思いましょう。
被災地のみなさん聞こえていますか?
誰もみなこころの穴を抱えています。
その誰かのこころの穴を埋めてあげることができたら、そんな素晴らしいことはありません。
大声を上げて泣きましょう。
その涙が、いつか、こころの穴を、埋めるのではなく「満たす」のです。そうですよね。泣いて、泣いて、泣いて、……。
そしてその涙でこころの穴をふさぐのです。
こころの穴からこぼれ落ちる涙より多くの涙を流して、こころの穴を満たし続けるのです。
母がぼくに教えてくれた、
「愛する」
と言うことです。
さぁ、泣きながら、叫びながら、呻きながら、涙と言う「愛」で、誰かを何かを、すべてを、愛しましょう!
<おわり>
みなさん、こんにちは、長嶋優です。
ぼくのこんなくだらない物語を最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。
今、何かつらいことと闘っているみなさん。
ぼくは闘います。だからみなさんも無理せずゆっくりと一歩一歩前を向いて歩きましょう。
次回は、奥手なぼくのラブストーリーを書こうと思っています。そのタイトルもズバリ『ラブストーリーず』
それではみなさん、またいつか会いましょう。
では、その日まで……。