もう、2月1日になりましたが、2024年1月を振り返って、記録に残しておきたいことを、つらつらと書いていこうと思います。

 

おじいちゃん

 

1月22日、お母さんから連絡が来ました。

母方のおじいちゃんが胆嚢の末期がんらしく、

お腹や胸に水が溜まり始めていて、今は食事もできて意思疎通もできるけど、

呼吸器を圧迫したらいつ危篤になってもおかしくないと。

 

急遽、有給をもらい、栃木の益子にあるおじいちゃんの病院へ向かうことに。

 

当日、行く前は、氏神様の神社にお参りしてから、病院へいこうと思い、

「おじいちゃんと楽しくお話しできました。今日会うのが、生きているうちに最後になるかもしれませんが、後悔することなく、とても幸せな1日を過ごすことができました。ありがとうございます。」と感謝を伝えてから、益子へ。

 

山の中にある病院なので、母親がレンタカーを貸して、往復4時間移動したのですが、まぁ、その間にお互いのおじいちゃんとの思い出話になりました。

 

私のおじいちゃんの思い出は、大工さんをしていて、幼いころはマッサージしてほしいと言いながら、3歳〜5歳の時にお祖父ちゃんの背中に乗って、足で背中をふみふみすると、「あー気持ちいい、俺は幸せもんだ〜」と言ってくれた姿や照れ

 

大学生の時、急にお祖父ちゃんの家に1人で行きたくなり、東京から池袋〜宇都宮から益子行きのバスを乗りづいて会いに行くと、お寿司を食べたり、お餅を焼いてくれたり、近所の方に「うちの孫が来たんだ〜」と自慢しに一緒に散歩したり楽しい思い出がたくさんでした。寿司

 

それに比べて、お母さんとおじいちゃんは、良い思い出ばかりではないらしく、少し複雑なようです。

 

元々、おじいちゃんも繊細なところがあり、精神病を患っていて、仕事ができない時や美容師で家計を支えていたおばあちゃんが作ってくれた夕飯を食べられないとちゃぶ台返しをしたことや、お金のことが心配になり、病的にお金のことをばかり気にしていたことが印象に残っていました。

 

とはいえ、今日会うのが、もしかしたら意識がはっきりしている最後の日になるかもしれないと思い、感謝の気持ちを伝えられると良いなと思いながら病院へ向かいました。

 

病院に着いたら、ベットに横になったおじいちゃんがいて、意識もはっきりしていて、孫の私だけ来ると思いきや、娘の母親も来ておじいちゃんは驚いた様子。

 

おじいちゃんがお母さんへ、

「子供の時、学校から帰ってきてお腹空いてるはずなのに、ご飯を炊いてあげられなくてごめん。代わりに、パンでも買ってあげれば良かった。」

「息子(私からしたら叔父さん)には、新品の自転車買ったのに、お前には中古の自電車を買って、悲しい思いさせてごめんよ。」

と、謝っていました。

 

そうか。

おじいちゃんも親として一生懸命稼ごうと、面倒を見ようと努力してたけど、

もっと育児や子供だちと触れ合いたかったんだね。

 

お母さんも

「全然気にしてないよ。」

「バトミントンの全国大会の時に、負けて悔し泣きしているの時に、慰めてくれてありがとう」

「足に箸が刺さって怖くなった時、私を安心させて、箸を抜いてくれてありがとう」

と感謝とたくさん伝えていました。

 

人生いいことばかりじゃないし

後悔する事もたくさんあるけど、

最後には謝って、許して感謝できるようになるんだなと

 

おじいちゃんとお母さんのやりとりを聞いて思いました。

 

私自身も、父親とは絶縁状態なので、

いつか私も、お母さんとおじいちゃんみたいに話し合う日が来るのかな?

と思いながら、益子の病院を後にしました。

 

今回、お見舞いに行くときに、私と母親と弟の写真を大きく印刷して持って行ったのですが、おじいちゃんが「病室のみんなに、自慢するっべ!」と嬉しそうにしていました。

 

 

また、いい写真撮っておじいちゃんにプレゼントするね