心が病んでいたとき。

今だったらあの頃の自分の思考は

おかしかったと思える。


変に人との距離感意識しすぎて

仲良くなりたくても

なかなか仲良くなれなくて。

というかどこか自分で一線引いてた。


それと、

とてつもなく自信がなくて。

だから『他人からどう見られてるか』

他人の目がすごく気になって

正直萎縮してた。


本当の自分を出したいのに、

本当の自分を出すのが怖かった。

だから隠してた。

自分で自分の人生が恥ずかしかった。

誇らしい人生じゃないと

他人になんか見せられないと思った。


そうこうしてるうちに

どんどんどんどん心が縮こまって

脳が変なこと言い出した。


きっと誰も悪口なんか言ってないのに

二人以上で話してるのを見ると

自分の悪口を言われてるような気がした。

(幻聴が聞こえた訳じゃない)


仕事仲間が「疲れた」と言うと、

私のせいかもしれない。

私が仕事ができないせいだ。

そう思ってた。


家に帰ってもしんどくてだらけて、

本当はだらけてないで

するべきことはたくさんあった。

それがわかってはいたけど

言い訳つくって逃げてたと思う。

だから余計に自分が嫌で。


どこに行っても何をしても中途半端で

何の役にも立たない私。

こんな役立たずでごめんなさい。

歳だけ重ねて、

将来ぶれっぶれでふらふら彷徨って、

こんな私でごめんなさい。

そう思ってた。


正直、生きてる価値がないとまで思った。

なんて生きづらい世の中なんだと。


そこまで考えがたどり着いたときには

すごくふらっと、

死んだほうが楽なのかな。

って思考が浮かんできてしまった。


自分で悲しくなった。


死にたいとかじゃなくて、

何のために生きてるんだろうって。

そんな考えが浮かぶなんて

自分でも思ってもみなかったから

ショックだった。


それで、

私だいぶメンタル危ないじゃん

って気付くことができた。


それからもしばらくは不調だったけど

ある事がきっかけで

ただただ生きる目的ができた。

元気になったと言うより

私が病んでる場合じゃない!って

急に強くなった感じだった。


泣いてばっかで放心状態で真顔で。

ただ一日を消費する。

心はボロボロだったかもしれないけど

病んでるときとは違った。


何をすればいいのか何がしたいのか

わからなくなったし、

逆に言えば、

したかったことも

全部どうでもよくなった。


何か目標に向かって頑張るとか、

そんなことどうでもいい。

将来に希望なんて見出せなかった。


でもそのことを母に伝えたら

母がすごく悲しんだ。

私の言葉で

母を悲しませてしまった。

そのとき、

もう二度とこんなこと言わない。

どうかしてたや私

ってはっと気付かされた。


それからはゆっくりでもいいから

頑張ってみようと思えた。


そんなとき

支えてくれたのはバレエ。

やっぱり好きだ。

バレエしてるときは無になって

集中できるし楽しかった。


それと、

私が踊ってる姿で母が喜ぶなら

頑張りたいと思った。


そのきっかけをくれた先生には

本当に感謝しています。



今では正社員じゃなくても、

低い給料でも、

好きなことに携われる職場で、

ホワイトな会社で、

楽しく笑いながら仕事してる。


恥じることなんて

何もない。

自分のこと恥じるなんて

産んでくれた親にも失礼かもと

今だったらそう思える。


しんどいときは無理はしない。

頑張らなくてもいい。

頑張りたいときに頑張ればいい。


負わなくていい責任を

勝手に負わない。

本を読んで学んだこと。


こうあるべき、

なんてこの世にはない。

と私は思う。


辛いのは私だけじゃない。

もっと辛い人はいる。

だから私も我慢しなくちゃ。

そう考えて

自分の感情抑えてると

余計辛いでしょ?


だから我慢しなくていいの。

人によって辛さは違う。

何に辛さを感じるかも違うから。

あなたが辛いなら

それはあなたの辛さだから。


私が何に生きづらさを感じていたか。

それは、

勝手に責任を負っていたこと。

他人と比べていたこと。

他人の言動に過剰反応していたこと。

寄り道できない社会で、

人からの評価を気にしていたこと。


これらのことは

『私は私のままで生きることにした』

という本を読んで

ようやく気付くことができた。


人と比べられるのが嫌で

比べないでほしいと思ってたのに、

自分も同じだった。


もっと自分という存在を

愛してあげよう。

自分で自分を大切にしようと思う。