主イエスは2032年9月15日に地上再臨されるだろう | 救世の光

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202X年 終わりの日と神の王国の到来に向けて

前回のブログでは、南アフリカのヨシュア兄弟が主から告げられたという預言を参考にして、「2025年9月23~24日」のラッパの祭りの期間に携挙が起こり、さらに7年後の「2032年9月15日」の贖罪の日に、主イエスが地上再臨されることを証しした。そこで今回のブログでは、『旧約聖書』の『ダニエル書』の預言から、この預言をさらに深堀りして考察してみたいと思う。少々長いブログとなるが、この世における私の最後の仕事だと思って、ご了承頂きたい。

 

 

まずは『ダニエル書』9章24節の預言から見ていくことにしよう。

 

「お前の民と聖なる都に対して、七十週が定められている。」 
ダニエル書9:24

 

「お前の民」とは、イスラエルの民のことである。「聖なる都」とは、エルサレムのことである。すなわち、『ダニエル書』の預言は、我々のような異邦人ではなく、イスラエル人を対象にした預言であるということである。

 

また、「七十週」が定められているとある。ユダヤ預言における「週」とは、7日、あるいは7年を示すようである。ここでは、7年が該当するだろう。よって、この『ダニエル書』の預言が告げられてから、イスラエル人が「終わりの日」を迎えるまで、全体で「70週×7年=490年」が神によって定められているのである。

 

「それが過ぎると逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し、幻と預言は封じられ、最も聖なる者に油が注がれる。これを知り、目覚めよ。」 
ダニエル書9:24-25

 

イスラエル人に定められた「490年」が終わると、「逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる」とある。これは、ついにイスラエル人が主イエスを神の子と認め、救い主として跪(ひざまづ)いく日が到来することを暗示している。今のイスラエル人は、いまだに主イエスを拒んでいる状態が続いているため、まだ終末は訪れていないことが分かる。

 

また、「とこしえの正義が到来し」とあるのは、千年王国(『旧約聖書』では「メシア的王国」と呼ぶ)が始まることを暗示している。「幻と預言は封じられ、最も聖なる者に油が注がれる」とあるのは、油注がれた者であるメシア(再臨イエス)がエルサレムで王として君臨するため、もはや預言をする者もいなくなるということである。

 

「エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから、油注がれた君の到来まで七週あり、また、六十二週あって、危機のうちに広場と堀は再建される。」 
ダニエル書9:25

 

南ユダ王国は紀元前586年にバビロンに滅ぼされ、その首都であったエルサレムは、その後も荒廃が続いていた。この書を記したダニエルは、バビロンに捕囚されたユダヤ人であったため、捕囚があった紀元前586年以降、どこかの王によってエルサレム復興命令が出された年数が、最初の起点となる年であると想定できるのである。

 

この年数を知るために、『ネヘミヤ記』を探ってみることにしよう。ネヘミヤは、バビロンを滅ぼした古代ペルシャのユダヤ捕囚民であったようだ。

 

アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。(中略)王はわたしに尋ねた。『暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。』わたしは非常に恐縮して、王に答えた。『王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。』すると王は、『何を望んでいるのか』と言った。わたしは天にいます神に祈って、王に答えた。『もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。』(中略)更に、わたしは王に言った。『もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。』神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。」 
『ネヘミヤ記』2:1-8 

 

この記述によると、古代ペルシャのアルタクセルクセス王によってエルサレムの復興命令が出されたのは、王の在位20年、すなわち紀元前445年のニサンの月1日(3月14日頃)であることが分かる。(アルタクセルクセス王の在位期間は、紀元前465年~紀元前424年)

 

さて、これで預言の起点となる年(紀元前445年)が判明した。次に、この年から「油注がれた君(初臨イエス)の到来まで、七週と六十二週ある」とある。これは、初臨イエスがエルサレムへ入城する年は、起点となる年から「7週+62週=69週」、すなわち、「69週×7年=483年」後の年であることを暗示している。

 

 

さて、この起点となる年(紀元前445年ニサンの月1日)から483年後は、西暦何年になるかを考察してみたい。ユダヤ預言では、1ヶ月を30日、1年を360日(30日×12ヶ月)として計算するため、483年を「483年×360日=173,880日」として計算してみたい。この計算には、ユダヤ暦からユリウス暦に変換し、さらに紀元元年を挟むため、計算が複雑になることが予想される。そこで、困ったときは生成AIのChat-GPTに登場してもらうことにしよう。

 

●結論:
紀元前445年のニサンの月1日(3月14日頃)から173,880日後は、西暦32年4月6日(ユリウス暦)、ニサンの月の10日頃。

●計算の詳細(概略):
173,880日 ÷ 365.25日 ≒ 476年(ユリウス暦換算)
紀元前445年春(ニサンの月)に、アルタクセルクセス王がエルサレムの再建を命じてから(ネヘミヤ記2章1節)476年後 → 西暦32年頃。

ユダヤ暦のニサンの10日(過越祭の4日前)は、イエスがエルサレムに入城した日とされており、多くの研究者はこの日を西暦32年4月6日(ユリウス暦)としている。

これは、イエス・キリストがエルサレムに入城した「シュロの日曜日(Palm Sunday)」と一致するとされ、聖書預言と符合する日付としてよく引用される。

 

結論が出たようである。紀元前445年のニサンの月1日から173,880日後は、西暦32年4月6日とのことであった。さらに、この日は過越祭の4日前にあたる日であるとのことである。すなわち、この日から5日後の金曜日(過越祭初日)に、初臨イエスは磔刑にかかったと予測できる。

 

 

さて、ここで『ダニエル書』の預言の続きを見てみよう。

 

「その六十二週のあと、油注がれた者は不当に断たれ、都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。」 
ダニエル書9:26 

 

「油注がれた者は不当に断たれ」とあるのは、初臨イエスが無実の罪で磔刑にかけられたことを暗示している。まさに、ダニエルの預言通りのことが、預言された西暦年で起こったのである。その約40年後(紀元70年)、エルサレムはローマのよって破壊されたため、これも預言通りのことが起こったと言えるだろう。

 

「その終わりには洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。彼は一週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」 
ダニエル書9:26-27 

 

ここからが終末の預言である。すなわち、イスラエルの民に定められた預言期間の70週のうち、69週はすでに起こったが、最後の一週(7年)は、これから起こるのである。これが、終末期における「ヤコブ(イスラエル)の苦難、主の日、艱難時代」と呼ばれる期間なのである。

 

 

さて、それではいつ「艱難時代」と呼ばれる最後の7年間が始まるのだろうか。それは、預言の中に「彼は一週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する」とあるように、「彼」すなわち「反キリスト(獣)」が、イスラエルと7年の平和条約を締結した時点からである。

 

さらにこの中で、半週、すなわち艱難時代が始まってから3年半経った時点で、反キリストがいけにえと捧げ物を廃止することが預言されている。よって、艱難時代が始まると間もなく、エルサレムに第三神殿が建設され、古代ユダヤの祭祀が復活することになるだろう。

 

ここで、もう一つ重大な問題が残されている。それは、「携挙が先か、艱難時代が先か」という問題である。この問題を解くためには、『黙示録』に書かれた預言を参考にするといいだろう。

 

「フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。 『聖なる方、真実な方、 ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、だれも閉じることなく、 閉じると、だれも開けることがない。 その方が次のように言われる。(中略)『あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。』」 
ヨハネの黙示録3:7,10 

 

もうお分かりだろう。「携挙が先」なのである。神の御言葉は絶対であるため、この約束も守られるだろう。

 

さて、ここまでの終末預言のタイムラインを図にしてまとめてみたい。

 

携挙は艱難時代の前に来る

 

最後に最も重大な問題が残ったのがお分かりだろうか。それは、「いつ主イエスが地上再臨されるか」という問題である。この時期が分かれば、そこから7年を引くことで、携挙の時期も判明してしまうのである。そこで、参考になりそうな預言書として、『ホセア書』を取り上げてみたい。

 

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし、三日目に立ち上がらせてくださる。 我々は御前に生きる。」
『ホセア書』6:1-2

 

『ペテロの手紙第二』3章8節には、「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」と書かれている。すなわち、この『ホセア書』の預言の解釈としては、「ユダヤの民は主イエスを拒んだため、主イエスが磔刑に処せられた後、その罰としてエルサレムは滅ぼされ、民は世界に散らされた。だが、2000年が過ぎ、3000年目に入った年に、主イエスが再び地上に姿を現し、ユダヤの民は本当のメシア(主イエス)を知るようになる」と読み解けるのである。すなわち、「西暦32年+2000年=西暦2032年」に、主イエスが地上再臨されると予測できるのである。

 

よって、最後の一週は7年なので、「西暦2032年ー7年=西暦2025年」、つまり今年から艱難時代が始まり、かつ今年のうちに携挙も起こると予測できるのである。前回のブログ記事「携挙は2025年9月23~24日のラッパの祭りの期間に起こるだろう」も参考にしてほしい。

 

最後に、主イエスが2032年の何月何日に地上再臨されるかを探るために、『ダニエル書』12章に記されている、「艱難時代の日数の預言」を見ていくことにしよう。

 

「 すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。『一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。』こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。『主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。』彼は答えた。『ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。』」
『ダニエル書』12:7-13

 

この預言の解釈には諸説あることは承知しているが、ここでは艱難期前半の日数を「1290日」、患難期後半の日数を「1260日」と定めることにしよう。この合計日数である「2550日」が、7年間の艱難時代である。ラッパの祭りの初日(日没から始まるため)である2025年9月22日を起点として考えると、2550日後は2032年の贖罪の日、すなわち「9月15日」に該当する。すなわち、ユダヤの民は「2032年9月15日」に悔い改め、主イエスを救い主として受け入れると予測できるのである。

 

「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。」
ゼカリヤ書12:10-11 

 

『ダニエル書』9章24節に預言された「逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる」のは、まさにこの時なのである。この日、主イエスは携挙された聖徒たちとともに、エルサレムに降り立つことになるだろう。この時、イスラエルに敵対していた悪魔の軍団は、すべて主イエスによって焼き滅ぼされることになるだろう。さらに、患難中期から1335日後であるハヌカ祭の期間(12月1日~9日)に、主イエスを王として戴いた千年王国が始まり、そこからさらに1000年後の3032年の仮庵の祭りの期間に、新天新地(新エルサレム)が始まることになるだろう。

 

 

「ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」 
ダニエル書12:4 

 

本ブログ記事をもって、もはやダニエル書の封印は解かれたと言っても過言ではないだろう。すなわち、今が「終わりの時」なのである。

 

ぜひダウンロードして活用してほしい。

 

 

 

 

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