目の見えない方と関わる中で、
ナルホド
と気づかされたことがあります。
ご一緒した利用者様の言葉を借りれば、
「見えない世界は“点”の世界」
ってことです。
例えば、日帰り旅行の同行で、電車を使う時、私は扉の位置や、空いた座席はどこかを一瞬で把握するけど、
見えない方に説明するときは、
「右に3歩、扉です。
ゲンコツ2個分くらいホームと電車に隙間があります。
少し登りの段になります。
ハイのりました、左に歩きます。人がたくさんいますので通路、狭くなっています。
座席が通路向きに2席あいています。
座りましょう。
電車は右手方向に動きますよ。」
みたいな説明をします。
その都度、状況を理解していくんですね。
歩くときは、白杖を付いた場所で一歩先を点で把握、
ほしい商品も、触って質感、重さ、大きさを確認、
その商品の隣に、もっと良いものがあっても触るまで存在さえ知らない。
目的地までの距離も、行き先の建物が目で見える位置でも、歩いてみなければ分からない。
見えるとついつい当たり前に思えて、
「出口に向かってまっすぐ」
みたいな声かけをしちゃいますが、まず“出口”どこよ、となりますし、
“まっすぐ”なんて抽象的には歩けないんですね。
日曜日にご一緒した利用者様は、見えないハンディがあっても、楽しむためのお出かけが大好きで、
電車・バスで知多方面に、日帰り旅行に同行しました。
ツアーならスケジュールがイロイロ用意されますが、ご自分のペースで出かけたいとのことで、一緒に寄りたい場所を相談。
「鯛祭り市場に行きたいんです」
(^_^;)
って、どこかな
方向オンチ、交通オンチのtamaには、目が不自由な方(かつ、聞こえが悪くて手足も力が入らない)をお連れしながらの移動はドキドキものです
「えびせんのお店の他にどこか“見て”回れるところ、ないですかぁ 」
と言われましたが、移動だけでかなりの時間を費やすので、ひたすら味覚で楽しんでいただくことに
この方と、ご一緒させていただく中で、見えない世界をずいぶん勉強できました。
《見える人が目を閉じたら同じ体験ができるか?
と言えば、それもちょっと違うのね(そこに触れると長くなるのだけど)》
“目”の代わりをするってことは、移動の時、捕まっていただくだけじゃなくて、点の世界を繋ぐために、かなり言葉を駆使するってことなので、ずーっと喋りっぱなし(しかも、耳も遠い方なので、半分叫ぶくらいだったし)
仕事が終わると、声が出なくなっていたのでした