芸術の守り人の美学

芸術の守り人の美学

画家・会計の知恵・ネットの論理・修復師の技能

専門:古典的写実(クラシック・レアル)
印象派、古典主義、コマーシャルアートなど
幅広い様式で創作活動を展開。
光と構造の「真実」を論理的に解読、
作品に落とし込むプロセスを探求しています。

テオと過ごす日常の中で、時々思い出す「静寂」の時代があります。
大人になってからルネを迎えるまでの長い間、僕の傍らにはいつも猫がいました。
(※現在も2匹の愛猫と暮らしています)

僕は、どちらかと問われるなら「犬派」です。
それでも、30代になるまで自分自身に犬を飼うことを許しませんでした。

なぜなら、犬は猫と違い、僕を「必要とする」生き物だからです。
自分自身のスキル、人格、そして家族を何よりも大切にできる自分。そのOSが完璧にビルドされるまでは、100%の依存を向けてくる大型犬という存在を受け止める資格がないと、僕は自分に厳格なルールを課していました。

今日は、そんな「人格形成」の段階で起きた、少しおかしな、でも僕にとって大切な記憶をデバッグしてみようと思います。

3時間おきの「隠密任務」
大学生の頃、実家の改装工事のために短期間ですが一人暮らしをしていた時期がありました。
当時、手元には4匹の猫がいました。その中の1匹は、まだ目が開いたばかり。数時間おきにミルクを与え、排泄を促さなければならない仔猫でした。

実家という共有サーバーから離れ、僕一人がメイン管理者としてその命を繋がなければならない環境。しかし、大学の講義を休むわけにはいきません。
僕が取った選択は、仔猫をバスケットに忍ばせて大学へ連れて行くという「隠密ミッション」でした。

講義中、教授が黒板に向かっている間、僕はバスケットの中から伝わる小さな体温と拍動に全神経を集中させていました。(講義に集中しろw)
3時間おきに訪れるミルクの時間。僕は周囲に悟られないよう、細心の注意を払って「命の保守運用」を続けていたのです。

幸いなことに、僕には良き「共犯者」たちがいました。
講義の合間、仲間たちと一緒にこっそりとミルクをあげ、仔猫をあやす。
学問というパブリックなシステムの隙間で、僕たちは一つの小さな命を守るという、密やかで温かな共鳴を共有していました。

OB会で語り継がれる「伝説」
事件は、仲間と一緒に大学を後にしようとした、その瞬間に起きました。
 

僕の片手には、仔猫を入れたバスケット。
大学の門をくぐろうとした時、正面から一人の教授が歩いてきたのです。
教授は僕の手元にあるバスケットを鋭く見咎め、言いました。

「それは何だ!?」

大学という規律の場に、私物を、ましてや動物を持ち込むことは本来許されないことです。普通なら動揺し、言い訳を並べる場面でしょう。
しかし、その時の僕に迷いはありませんでした。3時間おきの死闘を潜り抜け、その命を繋いでいるという自負。それが僕の背中を押し、あまりにも自然に、あまりにも堂々と答えさせたのです。

猫です。(・・)

その1bitの曇りもない回答。
あまりの堂々とした態度に、教授のOSは完全にバグを起こしたようでした。

「……猫か」

教授はそれだけを呟くと、不思議そうに、でも納得したようにそのまま通り過ぎていきました。

門の外に響いた祝砲
大学の門を一歩外へ踏み出した瞬間。

それまで張り詰めていた緊張が、一気に決壊しました。

「猫です。って!!ww」

「あんなの通用するのかよw」
 

仲間たちが腹を抱えて大爆笑し始めました。その笑い声の中で、僕は確信したのです。
自分が守るべきものを正義として、世界を自分の色で塗り替えていく強さ。誰にも頼らず、でも仲間を巻き込みながら、一つの命を最後まで責任を持って守り抜く手応え。

「ああ、僕はもう、絶対に死ねないな」

そう思ったのを覚えています。
僕が止まれば、この温もりも止まってしまう。その恐怖を上書きするほどの、圧倒的な責任という名の自由。

あの日の「猫です」という一言と、門の外での大爆笑。
それは、僕が後にルネやテオという光を迎えるための、最高に愉快で、最高に真剣な「合格通知」だったのかもしれません。

 

あとがき
後日談ですが、あの「猫です」と言い放った教授とは、その後も何度も講義で遭遇しました。
教授はいつも無言で僕に近づき、バスケットに被せてある布をそっとめくって中を確認すると、そのまま何も言わずに立ち去るのです。それは、言葉のない検品(仔猫の成長確認w)であり、僕たちの間に結ばれた暗黙のプロトコルでした。

もしあの時、僕が慌てて「すみません!!もう連れてきません」と謝罪のパッチを当てていたら、状況は全く違っていたでしょう。
当時の僕には、連れて行けないなら大学を辞めるという、退路を断った「全賭け(All-in)」の覚悟がありました。大学はやり直しがきくけれど、仔猫の命はやりなおしがきかない灯だから。

「ふてぶてしい」と人は笑うかもしれません。

しかし、自らの倫理を貫き、守るべきものを死守するためには、時として世界というシステムに対して「一切の妥協を排したプレゼンス」を示す必要がある。
教授は、僕のその「覚悟」をスキャンし、黙認という形のPassを出してくれていたのだと、今になって振り返ります。 

「ふてぶてしさ」とは――

自分の全責任を引き受ける覚悟を持つ者にのみ許された、最高に硬派な美学なのです。

 

【次回予告】仔猫の微笑と、砕け散った「双子」の記憶 ―― 続・猫だけの時代