ホネ

この物語はフィクションです。


----このノートに名前を書かれた人間は帰国する----


僕は、大阪から船で中国にわたり、東南アジアを旅しているバックパッカーだ。
ユーラシア大陸を陸路で横断するのが僕の目標だ。


名前はライト。
旅先の宿で夜な夜な始まる日本人バックパッカー同士による歴史討論会で
右翼的発言を繰り返すことから付いたあだ名だ。


旅を始めてから数ヶ月、当初 出会う出来事すべてが新鮮であり感動だった。
しかし、長期旅行の宿命が徐々にその感動を奪っていく・・・退屈な旅生活を送っていた。


そんな中
僕は道端に落ちていた薄汚れたノートを拾う。


「TABI NOTE」


それは驚くべきノートだった。
そのノートに名前を書くと、書かれた人間を強制的に出身国に帰国させることができるというのだ。


そう、バックパッカー的な旅をしていると各地で不愉快な旅人に出会うことがある。
人に頼る者、ベテラン風をふかす者、自分の主義主張を押し付ける者・・・。


旅人A「えっ君 地球の歩き方なんか持ってるのぉ?、ププッ、ダセー!」
旅人B「マクドナルドなんて行ったの?おれは屋台メシしかくわねーぜ、お前ペーペーだな」
旅人C「アジアに来たら料理は手で食べるべきなんだよ、スプーン使うなんてバッカじゃねぇ」


旅人界は腐ってる・・・


ガリガリ・・・削除・・・ガリガリ・・・削除・・・


(旅人A バックパックを盗まれて帰国)
(旅人B 原因不明の腹痛に悩まされ帰国)
(旅人C 野犬にかまれ狂犬病にかかり緊急帰国)


ふふふっ・・・これで世の中は、徐々にやさしい旅人だけの世界になっていくはずだ。
僕ならできる、いや僕にしか出来ないんだ。


僕は旅人界の神になる!!


僕の旅は、旅人界の掃除とともに順調に進んでいた。
しかし、カンボジアのプノンペンで、ある男に出会ってから状況が一変する。


「君、日本人?」
「は・・・はい、そうですけど」
「次 どこにいくの?」
「僕は明日ベトナムのホーチミンに行こうと思ってます」
「オレもちょうどそこに行こうと思ってたところなんだよねぇ、一緒に行ってあげるよ」


そんな調子で
この変なおっさんと一緒に旅をするはめになった。
初めは、ベトナムだけかと思ったのだが、当然のように僕の行く先をついてくるのだ。


ある時、ベテランバックパッカーにこういわれた。
「今度は君か・・・また被害者が・・・」


聞くと彼は旅人界では有名であるらしい。
彼は こう呼ばれている・・・「デューク西郷」。
人の背中ばかりを追っかけたあげく、
その旅人の旅する意欲を失わせ次々と帰国させてしまうことから付いたあだ名だ。


彼は僕に着いてくるだけではない。
宿の値段交渉、バスや列車のチケット購入など・・・なにもかも僕にやらせるのだ。


「オレは何もしない、ただ旅友として口出しはするがな」


いい迷惑だ。


なんとかして彼を帰国させたい。そう、僕にはタビノートがあるんだ!
だが彼は決して本名を教えてくれない。
かなり、あだ名が気に入っているとみえる。
何度もチャレンジしたが徒労に終わった。


「デュークさん、いいかげん僕だけには本名教えてくださいよぉ」
「オレの名はデューク西郷。オレの後ろに立つんじゃねぇ」


くそ!こればっかりだ。


だが彼を帰国させる方法がただ一つ存在する。


ーーー僕に恋をさせること・・・


告白し、日本行きのチケットを受け取ってもらえればキスして帰国となる。
しかし、これは論外だ。
美女ならともかく、なんでこんなおっさんと・・・それに僕はまだ旅をしたいんだ。


そんな状況に耐えながらも、しかたなく旅を続けるしかなかった。


ある日、インドの聖地バラナシで極度の腹痛と下痢におそわれてしまう。
何がいけなかったのか?
昨日食べたモナリザの「とろとろチーズスパゲティ」か?
ベンガリートラ沿いの店で食べた「てんぷらうどん」なのか??


そうだ下痢止めだ。中国で買った効果抜群の薬がある。
計画通り!!
こういうこともあろうと、余分に買っておいた僕の勝ちだ。


だが、腹痛は一向におさまらない。
し・・・しかし・・・こんなはずは・・・・・・どういう事だ・・・


そこに、悪びれることもなくデュークが信じられないことを言う。
「昨日の晩、お前の下痢止めをバファリンと摩り替えさせてもらった」
「な・・・なぜだ!!?なぜそんなことをする!」
「いやぁ、バファリンの半分はやさしさで出来てるって聞いたから、試してみたくて」


下痢にはきかねぇよ!


もがき、のた打ち回る僕を見てデュークは こう言い放つ。
「お前にはもう少し期待していたんだが、終わりだ。帰国しろ」


嫌だ!帰りたくない!!
帰りたくないーーー!!


下腹部の激しい痛みに苦しみながら、目の前が真っ暗になっていく・・・





うすれていく意識の中、中学時代の恩師の言葉が頭をよぎる。




安西先生AA

「あきらめたら そこで旅は終了だよ」


あ・・・安西先生・・・!!


僕の瞳に涙が溢れてきた


「旅がしたいです・・・・・・」


そして激しい下痢に見舞われながらも3ヶ月間なんとかインド一周の旅をすることになる。
しかし、きついインドの旅で燃え尽きた僕は
あっさり次のパキスタンで帰国してしまう。


下痢の原因は赤痢だった。


ーーーエピローグ

舞台は日本の浜辺。
療養中のライトがランニングシャツを着て腰を下ろして何かを読んでいる。
伸びた髪は短髪に、汚い不精ひげは無くなり、かつてのヒッピー風の風貌は見る影も無い
彼の手にはインドで出会った日本人女性からの手紙。


(ライト君、デュークさんは 新しい旅友みつけて、まだ旅してるみたいヨ)


「また被害者が・・・」


そこに近寄る初老の看護婦「さぁ、今から治療よ、厳しいわよ」
「ははっ、愚問を」
さわやかな顔で振り返り、こうつぶやく・・・


「旅人ですから」



チリ・イースター島 オロンゴからの眺め


 ブルーな気持ちになったら


 本当のブルーを見つけに行こうよ



 [チリ・イースター島]
Google Earthのマチュピチュ
NHKのニュースや報道番組というのは、内部に「ある勢力の人間」がかなり入り込んでるせいなのか、かなり腐ってきているご様子なのだが(詳しいことは話がそれるのでココではしないけど)、数ある報道番組の中で「NHKスペシャル」だけは非常に優良な番組だ。

1月21日に放送された「"グーグル革命"の衝撃~あなたの人生を"検索"が変える~」を観て自分のブログについて考えた。

番組内で、情報だけでなく収入までもGoogleに依存している若者として、ジョン・ゲールさん(21歳)を紹介していた。
彼が番組の終盤 以下のようなことを語っていた。


 「ある日、僕がGoogleで自分の名前をキーワードで打ってみたら、
 自分が完全に忘れていた過去のことが検索結果で出てきました。
 その時は面白かったな。
 (中略)
 自分の記憶に存在しなくなったことも
 インターネットの世界では永久に存在する時代になったのだと知りました」


ペルー マチュピチュ ワイナピチュからの眺め

よく考えてみると自分がブログを書く理由を挙げてみると、

(ア)自分はこんな素晴らしいところへ旅を(面白い体験を)したんだという自慢
(イ)その土地を将来 旅する人への情報源
(ウ)そこを旅したことがない人に対し、自分の感動・その土地の良さを感じてもらう為
(エ)旅ネタで楽しませる為
(オ)「その時の自分」の記録

ブログを開設した際の動機は(ア)の理由だと思う・・・といってもリアルに付き合いのある人には、ほとんど自分のブログの存在自体を教えていないので、リアルな自分に対する評価のプラスアルファをブログに求めてはいない。面白かったマンガ・良いCDを友達に貸すように、良い物を紹介したいという想いがメインだ。

書きながら効果を期待しているのは(イ)と(ウ)。自分は旅をするときは可能な限り情報を集めてから行くタイプなので、行きたい土地があるときはネット上の誰かが書いた旅日記などを検索したりして調べることが多い。
世界一周系の旅をしている人は まめに宿情報など詳細に記載してくれ非常にお世話になった。僕はマメなほうではないので、詳細は書かない(例えば宿の住所や電話番号などは書かない。必要なら名前から調べて)が、日記の中に宿の名前・交通手段・値段などを盛り込むようにはしている。
僕が他の人のHPを参考にしたように、どこかの誰かの手助けになればという想いから。また、旅をしたいけどできない人、全く外国に興味なかった人、旅はするがバックパッカー的な旅は未体験な人が僕のブログをみて疑似体験してくれれば幸せだ。

東南アジアの旅日記が終わり、その後 旅ネタを書いたりしていると妙に良い反応が返ってきたり、リンクしてくれる人が増えてきて楽しくなったのでしばらく(エ)がメインの書く動機付けになった気がする。

ペルーピサックのお土産
そして最近ブログを書いていて良かったと思うのが(オ)。
旅をしてしばらくはそのインプットした情報をなんのためらいもなくとアウトプットできていたのだが、さすがに時間は残酷で多くのことを忘れてしまう。しかし、自分の書いた日記のたった一行・たった一枚の写真で、その前後に起こった出来事を鮮明に思い出すことができる。
(ちなみに、時々 僕のブログの旅日記を読んだ人が「よくそんなこと覚えているネェ」と勘違いする人がいるのだが、旅日記に関しては、「旅している当時に書いたもの」をWeb上にUPしているだけ。)

先日、南米旅行を予定している友人に、ペルーやボリビアの情報を教える為に会ったのだけれども、宿の名前や町の名前が口から出てこないことがしばしば・・・。「ちょっとここ地図を描いてあげるよ!」と得意げに言いつつ紙とペンを持ってもスラスラ線がかけない自分がいた。頭では記憶していることなのに、もう詳細にアウトプットできない状態になってきている。
ツアー旅行と違い、自分で調べ自分の力でその土地に行った記憶というのはなかなか失せることはないと自信を持っていたのだが。生活が変わり、旅とは別のインプットすべき情報が増えたからだろうとは思う。
プライベートに関しては他人に見せても面白くないものなので、このブログでは書くつもりはないが((ア)~(エ)の理由がないので)、旅をした思い出は大切なもの・・・将来の自分に対しても残していきたいなぁと思う。

昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分・・・気づかないうちに良くも悪くも変化している。今は自分の記事に検索をかけるほど膨大でもない量だが、過去の記事を読み直してみると、今の自分とは違う過去の自分を見つけることができる。


ペルー チチカカ湖 タキーレ島 都市までの距離看板
 「グーグルの上位5位が理想です。
 上位15位に入らなければ、あなた方はこの世に存在しないのと同じです」


現在、ネットの検索結果が会社や店舗の業績を左右する時代になってきているそうだ。
上記は、依頼主のホームページをGoogleの検索結果の上位にするビジネスをしている会社 ブルース・クレイ社の社長による講習での言葉。
ネットユーザーが欲しい情報を検索して(沢山のHPが検索にひっかっかって)も、ほとんどがトップページに表示される上位5位くらいしかクリックをされないのだ。「あなた方(企業や店舗)」にとって、検索の上位に表示されなければ「この世に存在しない」のと同義だと言い切る。

自分にとっては、「へぇ~」っと他人事。
自分のブログには、しょぼいが検索単語とリンク先がわかるようになっている。このブログに検索から辿り着いてくる人は少なくない。Googleの検索結果に飛ぶと、いくつかの単語は検索の上位になってしまっていて、よくその単語から来る人も多いわけだが、4ページ目・5ページ目などからでも訪れる人はいる。本当にその情報が知りたい人はちゃんと僕のブログを発見してくれるのだ。「過去の自分」を見つけてくれたといってもいい。

しばらく更新をしていなくてもチェックに来てくれる有難い読者もいる。しかし、いづれ自分がこのブログを書かなくなることもあると思う。そうすると定期読者も誰も来なくなるだろう。そうなるとこのブログを読んでくれる人は検索で探し当ててくれる人だけになる。
しかし、例え検索結果の上位には表示されなくても、発見してくれる少数の人と、将来「過去の自分を検索する自分」がいるのだから、今ブログを書く意味があるんじゃないかなぁと思う。

「彼ら」がいる限り、僕はこの世に存在する。



[写真1]Google Earthで表示させたマチュピチュの鳥瞰図
[写真2]ペルー;マチュピチュの先の山ワイナピチュから見たマチュピチュの遺跡
[写真3]ペルー;ピサック・マーケットのお土産
[写真4]ペルー;チチカカ湖タキーレ島の世界の都市への距離の看板



※追記
まなめはうす」さんに
『私は文中リンクで本筋に触れてなくてもトラックバックは欲しいな。自分の記事が相手にどのような形で印象に残ったかが分かっておもしろいもん。』
と書かれていたので、まなめさんのブログのこの記事にトラックバックしてみる。
『インターネットの素晴らしさは、exist にある』という部分に共感してこのエントリを書きましたので。
ボリビア 子豚?

ずいぶん出遅れてしまいましたが、
新年 あけましておめでとうございます。

ところで、僕も含め多くの人が、毎年毎年なんの疑問もなく「おめでとう」と言っていますが、一体 なぜ西暦の数字(または日本の年号の数字)が一つ増えたことに対して お祝いの言葉を言うのでしょうか?
「昨日」という日から「今日」に変わっただけのことなのに。
いつもと同じ朝の太陽なのに「初日の出」といって特別視。
地球上のほとんどの動物はいつもと同じ朝を迎える、しかし人間だけがこの新年を祝う。
特に暦にしたがって生きている人間が。

ひとつの考え方として、以下の流れ

「私」が「新年を無事に迎えることができた」→良かった→(自分に)おめでとう。

こう考えることもできなくは無い。
しかし、こういう意味で「おめでとう」と言っているのは、よほど毎日を楽しく生きている感性が豊かな人か、いつ死ぬか分からない身体・環境にいる場合の人達くらいと思うがどうだろうか。
大抵は、何も考えずに言っているか、もしくは、「暦」が「新しくなった」→良かった→おめでとう、という考え方ではないだろうか?

ところで、↓こんな記事を見つけた。



(引用開始)ーーーーーーー

<世界の2007年>新年反対のデモ開かれる - スイス
【ジュネーブ/スイス 1日 AFP】ジュネーブでは31日、新年に反対する団体「Fanacon」による2007年反対デモが行われた。Fanaconは新年を間近に控え、「カレンダーを変えず、2007年への突入を阻止する」ことを求めた「議会への嘆願書」の署名を集めた。この活動はフランスから始まったもので、ナント(Nantes)でも同様のデモが行われた。写真は31日、「2007年をやめよう」と呼びかけながらデモ行進をする活動家ら。
(引用元;AFP BBNEWS)


ーーーーーーー(引用終わり)



うーん・・・わけわからん・・・

しかし、この記事に書かれている団体が、もし本当にいるのなら・・・、
世の中には新年を迎えたくないという人達がいるということだ。
「2007年への突入を阻止する」・・・なんてシュールでとんでもない主張だ。

ところで

年賀状は、返事しか書かない僕みたいな人は別として、多くの人たちは、大晦日より以前に年賀状を書いていると思います。
その年賀状には、こう書かれる・・・「あけましておめでとう」と、
・・・年が明ける前に、だ。

なぜ人々は、「年があける」ことを必然のこととしているのか?
まだ新年を迎えてもいないのに。
一般の人々において、この年賀状だけであろう、未来の出来事を完了形で記述するのは。
しかも、それをお祝いしている・・・。

だがちょっと待って欲しい、
これは古来から伝わり日本人の骨の髄まで染み込んでいる独特な文化「言霊」なのではないか。



(引用開始)ーーーーーーー

言霊(ことだま、ことたま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。
(引用元;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ーーーーーーー(引用終わり)



結婚式で「別れる」「切れる」、受験生に「すべる」「落ちる」を禁句とするのは、この言霊文化の由縁である。

さて、
ジュネーブやフランスでのデモのような秘密結社が、この世界に暦ができて以来、毎年毎年 大晦日にさまざまな妨害活動をする・・・単純に新年の暦(カレンダー)を燃やしたりする単純なものから、超科学兵器もしくは時を止める能力者(例;スタンド使い)を利用するなど、新年の突入を妨害してきたことだろう。
この活動を知った我ら日本人の祖先は、大晦日より以前に、多くの葉書にあたかも「新年が無事に明けた」かのような文字を書き綴り、沢山の人にそれを配った。

秘密結社による新年突入妨害活動を阻止するためのこの大作戦は、やがて年賀状という風習と化し、日本人に浸透していった。
しかし、いつしかその目的は忘れ去られていく・・・。

近年、年賀状が送られる枚数は毎年減少しているとのことだ。
今年も僕の元に数枚の年賀状が届いた。
それらの年賀状には、美しい日本語による言霊の力を信じ行使してきた先人達の涙ぐましい努力と功績を忘れた暗号のような言葉が書かれていた。


「あけおめことよろ」


2008年を迎えるのは難しいかもしれない・・・




[写真;ボリビア・ティワナク遺跡にいた子豚?]
バンコク 空港
5時に目覚まし。
当然 宿の入口は閉まっているが、おっさんが起きてドアを開けてくれた。少しは めんどくさい とか嫌そうな顔をしてもよさそうなのだが 軽く微笑み「また来てね」と別れ際も良い感じ。

MPツアーで教えてもらったエアポートバスのバス停が5:30AMからあると聞いていたので、そこまで歩いてみる。昨日 確認のためにここに来たのだが「6:30AMから35分おきに出発」という看板が出ていた。しかしMPツアーの森さんが自信満々に行っていたので、来てみたのだが・・・やはり誰も居ない。
少し歩いて、道脇の屋台でワッフル(10B)を売っていたので購入。セブンイレブンでジュース。
流しのTAXを拾い、空港へ。

8:25AM発、台北経由。
窓側の席だがまたもや「翼の上」。95%くらいの確率だ。
離陸も着陸の瞬間も寝てしまう、昔はこういうの瞬間も自分の中では「一大イベント」だったのに。慣れというのは、少しずつ感動を奪っていく。

中部国際空港・・・。
以前ここに来たのは、開港とは程遠い トラックや重機が行きかう建築中・・・仕事でだ。もう二年半くらい前か。

旅をして素晴らしい景色や体験と出会うと、大学の頃の友人や会社の同僚などのことを思い出し、「今頃せっせと働いているんだなぁ」と優越感に感じることがある。それと同時に、彼らが働いている時に「こんなことをしてていいのだろうか」と後ろめたく思うこともある。

ただひたすら前に進んでいる時はいい。しかし 日本を離れた時間がながくなり、自分が観たいと思っていたモノをみることができ、その旅のクライマックスを超えたとき、自分の気持ちが旅の終焉へと傾く。旅に対する優越感と後ろめたさが混ざり合い、それが不安へと変わっていく。
日本との物理的距離が離れるほど、旅している時間が長くなるほど、日本との「時差」が開いていく。

旅に出て、多くのものを観て来た、多くの人達と出会ってきた、多くのことを感じてきた。

それらは旅に出なければ決して得ることができないものだ。

充実した日々を過ごしてきたこれらの体験はかけがえの無い大切なもの。まったく後悔はしていない。

しかし、会社を辞めて、なにか新しい世界へと前に進もう進もうと旅をしてきたが、果たして良かったんだろうか?自分のことを忘れられていないだろうか?置いていかれていないだろうか?これから普通に社会に戻れるだろうか?
レールを外れてしまったこと、日本の社会ではそれが不利と思われるその状況をアドバンテージにして誰かに示すために旅をしていないだろうか?

いくつかの疑問がわいてくる。

新しくなってしまった空港に降り立ち、時計の針を二時間進めた。


['05タイ旅行記]


※これで2005年5月中国 上海から始まった70日間の旅日記は おしまいです。
本当はもっとスピーディに更新していくつもりでしたが、「70日分の旅日記」なのにだらだらと8ヶ月もかけてしまいました・・・。

またしばらくは、まったり旅ネタとか写真紹介をしていく予定です。

では良いお年を。
バンコク イスネコ

バンコク 椅子ネコ
何度か起きたようだが、結局うだうだベッドで9:30AM頃までいてしまった。
朝食として昨日夕食をとった「ミシンの店」で何かの炒め物を食べる。
(※写真のネコは、以前このブログで紹介した「BKKイスネコ」の別アングルです。この「ミシンの店」で遭遇しました。)

財布の中身が400B程度で、ちょうどバーツを残さずに帰国できると思ったが、MPツアーに確認したところ、空港使用税が500Bかかるとのこと。

バンコク カオサン通り マンゴージュース
宿に戻り、まったりと過ごし、昼ごろ外へ。ここカオサン周辺は意外に良く知らない。一度なじみの通り・お店が出来てしまうと、なかなかそれ以外のところには行かなくなってしまうものだ。

バンコク
今回は、わざとわき道やらに入り知らない道を散策。ツーリストポリスの先にスーパーがあったことも知らなかった。チャオプラヤー川脇の公園でまったり。

バンコク ワットポー

バンコク ワットポー

バンコク ワットポー

バンコク ワットポー

バンコク ワットポー
時間があるのでお気に入りのワットポーの寝釈迦さんをもう一度見たくなったので歩いていく。20B払い中へ。今回は広角レンズを持っている。足の裏からのアングルでもしっかりと足裏と全身がフレームに収まる。

ワットアルン近く
夕日まで少し早いが隣のワットアルンの船着場へ。待合場でまったりと過ごし、夕日の時間まで待つ。雲が厚く半ば諦めていたが雲の切れ間から太陽が覗き、あたりが赤く染まった20秒ほどの間で写真を撮る。
(※といっても・・・「暁のワットアルン」で有名なこの寺だが綺麗に撮れなかったので船着場の写真で・・・。)

ワットポーに行く前にツーリストセンターで手に入れた地図に簡単なバスの路線図が書いてあったので、それに書いてある駅行きの市バスを使うことにするが、乗って行き先のホアランポーン駅の名前をを行ったら怪訝な顔をされ降りることに。トゥクトゥクで30Bで交渉しようとしたがダメ。結局タクシーを捕まえ駅へ。

売店でバナナの揚げ物(10B)で軽い昼食。MRT(地下鉄)に乗り(270Bくらい)でスクンビットに行く。タクシーに乗り宿へ。

バンコク ランブトリ通りのお粥
11:30PM頃ランブトリ通りのセブンイレブン向かいの店でポーク&エッグのお粥(35B)を食べ、そばの串屋でポーク。コンビニでジュースと明日の為のパンを買い、再び別の屋台でポークの串。なんでこんなにも甘いんだろうか。
宿に戻ると知らないメンバーが増えていたが皆寝ていた。パッキングして就寝。


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BKKイスネコ


['05タイ旅行記]
バンコク パッタイ屋台
シャワーを浴びた後、昼食としてランブトリ通りへ行きパッタイ(20B)。
MPツアーに行き日本往復(台湾経由)を2240Bで購入。なにか思ったより高いが最近TAXやら燃料代やらで急激に値上げしたらしい。ずっと今回の旅を始めた頃から、BKKに帰ったら日本往復を安く買おうと決めていたのに全然お値打ち感がない・・・まぁいいや。

バンコク カオマンガイ
宿に戻り、ドミトリーのメンバーと会話した後、昼食のためランブトリ通りのカオマンガイ(25B)。


ワットポーに行こうかと考えていたが、「地球の歩き方」を見ていたら考えが変わりウイマンメーク宮殿というところに行くことに。
(※写真は宿のベランダから撮ったもの。カオサン通りとランブトリ通りに挟まれたこの小さい広場の周りに4,5件日本人しか泊まらない宿が集まっている)

カオサンの南のバス停から70番のバスに乗る。自分の「地球の歩き方」は「東南アジア」(タイだけのガイドブックではない)なのでバンコクの地図が小さい範囲しか載っていない。だいたいこの辺かなというところで降りる。微妙に行き過ぎてしまったようで人に道を聞いてたどり着いた。

バンコク ウイマンメーク宮殿
入場料が100B。想像していたところとは違う。結構広い敷地にいくつかの建物が点在している。
メインのウイマンメーク宮殿へ。
荷物を預ける。ちょうど英語ガイドのスタート時間だった。
広い館内を三人の女性が交代で解説してくれる。観光客が20人程度いただろうか、部屋の解説など遠くて聞き取れない。

バンコク
宮殿を出て少し敷地内の博物館などに行こうかとしたが、4:00PMでクローズでまともに観れなかった。敷地内を足早に散策。

再び70番の市バスでカオサンに戻る。
一時間ネットをして、ATMでお金を降ろし、MPツアーでチケットをゲット。

夕食をとろうと歩いていると、カトマンズ・バラナシ・コルカタで一緒だったシュウさんと遭遇。なぜかドイツ人・日本人のハーフと一緒だ。彼らはこれからネットするというので一時間後会って夕食ということに。それまでお腹が空いたので屋台のトウモロコシ(15B)を食べて宿で休み。

バンコク 「ミシンの店」のネコ
8:00PM宿の前でシュウさんとハーフ君と合流。ハーフの人が一人日本人のおっさんを連れてきた。
バーガーキングの裏手の店に行く。なぜか昔のミシン台をテーブルにしていて、店内にネコもいっぱい。少しだけ日本語を話す変なおばさんもいる。
オムライスみたいなメニュー(25B)とジュース。食後三人と別れる、シュウさんに出会い喫茶(テンメイ?テイメイ??)に行くように誘われるが、なんとか振り切る。

宿に帰ると三階のドミトリー全員が皆ずっと話しこんで盛り上がっていた。明日カンボジアに行くように女の子も寝ずにガンバルようだ。
明かりがなかなか消えないまま、いつの間にか就寝。



['05タイ旅行記]

※この日は、日記書いてません・・・。当時の写真を見ながら適当日記で

カオサン通りを曲がったところにあるプディング屋台で朝食。


お気に入りのお店の あんかけ硬ソバで昼食。


バンコク版 秋葉のサイアムスクエア(←名前違うかも)を散策。CDケースなど購入。


伊勢丹だったっけ???日本のデパートでタイの玉子料理で夕食。
あとは、カオサンに戻ってぶらぶら。



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BKKミシンネコ

今日はタイのバンコクに飛行機で帰る日。同じ飛行機に乗るサトウさんと一緒だ。
前日に宿で手配してもらったタクシーに7:00AMに乗り、空港へ。

7:30AMに空港に到着。
コーヒーを飲むなどして過ごし、さらにサンドイッチを買って残りのインドルピーをぴったり消費。


飛行機が離陸したあと、なんだかインド人は普通に席を立ったり、立ち話をしたり。飛行機の機内ではトイレに行く時 以外はおとなしく席に座っているものだという常識というか先入観があったのだが・・・ちょっと考えられ無い行動をしている。

バンコクの空港に着陸すると、インド人は まだ飛行機が動いているというのに、すぐに立ち上がり荷物を降ろしだす。うーん・・・。
飛行機を降り、初めてタイの空港職員にむかえられたとき、そのタイの微笑みにココロがなごんだ。いままでギョロっとしたインド人に囲まれていた すぐ後にタイに来るとタイ人のあの物腰の柔らかい印象、そしてあのフニャフニャしたしゃべり方・・・うーん、やっぱりタイは良いわぁ~。

サトウさんとタクシーに乗りカオサンへ。サトウさんはタイ語を話せる。タイ語の旅の会話集なども出版しているくらいだからさすがだ、頼もしい。

カオサンにつき、泊まる宿がそれぞれ違うのでここでお別れ。
Sada氏に教えてもらったカオサンのセブンイレブンの横を奥にはいっていった日本人宿のエリアへ。最初に行ったATが満室だったので向かいのフレンズGHへ。三階のドミトリーへ。


バンコク 永和豆


※この日の日記を書いたのはココまで。
あとはバンコクに来ておきまりの行動。カオサンうろつき、パッタイ食べたり。

夕食は、無性に中華料理が食べたくなり、バイタクに乗り、バンコクの店を紹介しているブログに載っていた永和豆?という店へ。
店員の中国人の女の子も親切でいい感じ。美味かった。


['05タイ旅行記]
コルカタ

コルカタ
朝食は宿のそばのお店で。
2階がレストランになっていて、ここは、なかなかいい雰囲気。さすがコルカタはおしゃれな街。ビッグブレックファーストというメニューとラッシー。
(写真はこの店のメニュー。コルカタでは、どんな料理がいくらくらいなのか1Rs=約2.7円で計算してみてください。)


コルカタ カーリー寺院

コルカタ カーリー寺院
シュウさんと一緒に地下鉄に乗りカーリー寺院へ。
寺院内の撮影はダメとはガイドブックに書いてあったが、カメラの持込自体もダメとは思わなかった。入口で金属探知機でカバンの中のカメラを発見される。
ちょうどいいタイミングで、後ろから「オレの店で保管しておいてやる」と言うオヤジが現れる。入口の係員もこのオヤジに預けろという。しかし、インド人は疑ってかかって損は無いのだ。信用できないのでシュウさんに先に中に入ってもらい、自分は外で待つことに。

売店などでうろうろしていると物乞いとかが何度も声をかけてくる。血を好むカーリーを祭る寺院だけに怪しげなカーリーグッズを売っている店が多い。

出てきたシュウさんに荷物を預かってもらい、今度は僕が中へ。
シュウさんに忠告されたとおり、さっそく老人が声をかけてきて、内部の案内などをすると誘ってくる。シュウさんは それに乗ってしまい、最後に 彼はお布施といってお金を払うように言って要求した とのこと。だから無視。

奥に進むと、この寺院の名物(?)、ヤギの生贄の儀式をやっていた。ちょうど自分がついたときにヤギが断頭台(?)に乗せられている最中だった。ヤギも状況が分かるのかそうとう抵抗している。上下の板で首を挟みこみ、男が大きな刀を振りかぶる。自分はその瞬間を見てられなかったので、顔をそむけた(視界にはギリギリ入れている)。
生贄の場を再度みると、ヤギの首が床に転がり、胴体は ばたっと倒れた後も なお足を上下に激しく動かしていた。血を好むカーリー神への生贄となったのだ。うーん・・・。
何事も無かったように、次のヤギが用意される。皮を剥いだ胴体がぶら下がっている横を通り 外へ。


コルカタ
シュウさんと合流し、地下鉄で宿に戻る。
昨日のレモンジュース屋台で再びジュースを飲んでから宿へ。

コルカタ
宿に行く前に、宿の近くのネット屋へ。

宿に戻ると、サトウさんが宿についていた。ちゃんと僕がフレンズGHに忘れたジーパンを持ってきてくれた。大感謝。


コルカタ
夕食は三人で「コカコーラの店(看板がコカコーラなのでそう呼んでいる)」へ。
今日はナンとカレーとレモンラッシー。うまいなぁ。ナンは 何もつけなくても そのままで充分おいしい。

お土産にチャイが欲しくてマーケットに行く。
マーケットに入るとすぐに妙な勧誘がついてくる。何が欲しいんだと聞いてくるが もし案内を許すと、その店からマージンをもらうようになっているのだろう。非常にしつこい。三人でばらばらになり、勧誘の男をまく。
シュウさんと合流し、あるチャイ屋へ。値段交渉してチャイの葉っぱを量り売りしてもらう。しかし計りの天秤の錘(おもり)をごまかそうとする。なんども指摘しやり直させると向こうがキレだしたので、「もういいよ」と退散。
サトウさんが見つからないので、二人で宿に帰る。

うーん、交渉が決裂したとはいえチャイはやっぱり欲しかったなぁと後悔していた頃、サトウさんが帰ってきた。彼はチャイを購入している。僕達とは別の店で結構安い値段で買っていた。

やはり思い直してもう一度小雨が降る中 二人についてきてもらいマーケットへ。
今度は すんなり気持ちよく買い物できた。透明なビニール袋に入れてろうそくの火であぶって密閉してくれた。しかし この見た目はまさしくニュースなどでみる「空港で押収された大麻」状態である。ついでに もともと欲しかったカレー粉を同じ店で購入することに。これで空港で持ち物検査されて (考えすぎだが)仮に怪しまれたとしても言い訳が簡単だ。

宿に戻って就寝。


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['05インド旅行記]