ブログ更新が滞っておりますが………
やめては、ないです。笑
まだ、続けます。笑 (^_^;)
チチロの最期について、思うことあって、
いろいろ書きたくて、でもうまく書けなくて、
書いては消し、書いては消し……
書いては消し、書いては消し……
書いては消し、書いては消し……
書いては消……(いつまでやるんじゃい)
で、結局……
まとまらなかった……笑 (-_-;)
終末期医療、終末期ケアのこと、書きたかったんですが、
難しいな……
まとまらないまま書きます……
いちばん気にかかったことが輸液についてでして、
腎不全での輸液は、
普段なら、した方が調子がいいのですが、
おしっこが作れないような、
もうホントに最期の最期ってときには、
水分が排出できなくて、負担になってしまうようです。
いろいろ調べたところ、
人間でもそうらしいのですが、
体の機能がダメになってきて、もう最期ってときに、
飲まず食わずになるのは、死ぬ準備みたいで、
そういうときは、脱水になって枯れるように亡くなる方がラクらしいです。
無理に生かそうと水分や栄養を体にいれると、
負担になって苦しくなってしまうそうです。
(いくつかの医療サイトや医師の本に書いてあったことで、
ホントかどうかは私にはわかりませんが)
チチロもネロも、
そんなにすごく苦しんだわけではないけど、
もう少し穏やかに死なせてやれなかったのかと、
もう少し上手に看取れたんじゃないかと、
終末期の対応について、
もっと知識があったらよかったと、
そんなことばかり考えていました。
お医者さんは、助けようと頑張ってくれるし、私もあきらめずにできるだけのことをしたい方だけど、
本人(犬・猫)にとって、どうだったんだろうかな。
病気の子の状態が悪くなると、
病気を治そう、症状を抑えようってことばかり考えてしまうけれど、
もちろんアレコレやって快復することもあるから、どこでやめるかって判断は難しいけれど、
もうホントに最期ってときには、
なるべく負担を減らして、
その子の望むようにしてあげたかったな。
そういうときこそ、
たとえ医療を後回しにしたとしても、
もっと心のケアを充分してあげなきゃいけなかったな。
なんとかしようと世話を焼くより、
ただ側にいてあげることの方が、
よかったのかもしれないな。
私は、どうにも腹が据わっていなくって、
いざという時には、アタフタ、オロオロするばかり。
でも、犬猫でも人間でも、
生き物はみんな必ずいつかは死ぬんだから、
そのことを意識しておきたい。
看取る方も逝く方も、なるべく悔いのない一生になるように。
限りある時間を大事に使えるように。
そう思います。
でも、こういうことは人それぞれ。
私の母なんかは、死ぬ話題、キラい(笑)。
できるだけ避けるタイプ。
ついでに、病院もギリギリまでいかない(笑)
チチロやネロ、そして、今までに看取った子たちのことも、
その最期を思い出すと、
胸の奥が、何かにつままれているような、
例えるなら、心臓に洗濯バサミがいくつもくっついているような(←シュール。笑)、そんな感じがします。
ちなみに私は、ペットを亡くすと、同じような境遇の方をネットで探し回ってしまいます。
数年前にたどり着いた、杉本彩さんのブログの記事と書き継がれていくコメント欄。
ペットロスの方の慰めになるかもしれないので、貼っておきます。
ちょっと、前を向くのに、時間がかかってしまった。
(いや、まだ向けてないかもだけど)
ちゃんと死と向き合って、
私自身もいつ死んでもいいように、
(今のところ死ぬ予定ないけど)
悔いのないように生きていきたい。
……………………。
………いや、ダメだ。
部屋が……
部屋が汚すぎて、恥ずかしいから、まだ死ねん。
とりあえず片付けてから。
家の修理と、庭の手入れもしてから。
(↑何年もやってるのにおわらない。なぜだ。)
とりとめがないので、
最後のシメに、
私のお気に入りの一節を、
『徒然草』より(←唐突!)
155段の終わりの方〜
(略)
死は前よりしも来らず、
かねて後ろに迫れり。
人皆死あること知りて、
待つこと、しかも急ならざるに、
覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、
磯より潮の満つるがごとし。
最後の一文、かっこよくないですかぁー?
いい例え持ってくるぜ。
リズムといい、カメラワークといい、
グッとくるぜ。
ケンコー、かっけー。
(すいません。ちゃんと読んだことはないです。
これもたまたま見つけただけ。笑)