気功療法
あの世から戻った超スーパー気功療法師
橘奎志
Youtubeチャンネルはコチラ
Facebook(橘奎志)はコチラ
こんにちは。
今回は、ある患者さんとそのパートナーさんから聞いた臨死体験のお話です。ではでは。
大阪に住むIさんは、がんで2度開腹手術を受けていました。気功療法を始めると、抗がん剤の副作用で起こるひどい吐き気やだるさが消えました。がんを根絶したかったIさんは、毎日気功療法を受けながら、主治医には気功療法のことは伏せて抗がん剤の量を増やしてもらい、バンバン打ちまくりました。抗がん剤治療で短期入院した時は、病院食だけでは足りなくて抗がん剤の点滴をぶら下げたまま病院内のレストランでモリモリ食事をし、医師や看護師を驚かせました。
Iさんの驚異的な回復と副作用の皆無に気をよくした主治医は、この症例を学会に発表する、と言いました。気を良くしたIさんからこの話を聞いた旦那ちゃんは、Iさんに気功療法のことを主治医に話すように言いました。気功無しで大量の抗がん剤を投与されれば、患者さんが抱える苦しみはもっとひどくなると容易に想像できたからです。
Iさんは旦那ちゃんの説得を聞き流し、主治医には気功療法の事は告げないまま大量の抗がん剤を続けました。その後旦那ちゃんの説得が続いてうんざりしたのとがんの経過が良好だったのとで、Iさんは気功療法を止めました。
それから数ヶ月経ちました。真夜中にパートナーさんから電話がありました。Iさんが自宅で倒れて緊急搬送され、危篤状態に陥ったので気功をお願いしたいと言いました。一刻を争う状態だったので、旦那ちゃんはすぐに病院に向かいました。
病院で、Iさんは集中治療室に横たわっていました。隣にはもう1人横たわる別の患者さんがいました。そして「気功師が来る」と知ったIさんのご家族方と主治医が、Iさんを囲んでいました。ご家族はうさん臭そうに旦那ちゃんを睨みつけ、主治医は「やれるもんならやってみろ」と言わんばかりに腕組みをして旦那ちゃんを威圧しました。敵意むき出しの衆人監視の中、旦那ちゃんは静かに気功療法を始めました。途中でいちど、Iさんに繋がった機器からけたたましい警報音が鳴りました。気功が終わると、旦那ちゃんは静かに病院を出ました。
Iさんはその夜をなんとか乗り越え、翌朝を迎えることができました。そしてひと月後には無事に退院しました。退院する時、病院のスタッフ達は「危篤状態からたったひと月で退院するのはこの病院始まって以来初の快挙、まさに奇跡!」と言って驚いたそうです。
Iさんが集中治療室から一般病棟へ移った後の入院中も、旦那ちゃんは毎週病室まで行き、気功療法を届けていました。ここからは、その時にIさんから聞いた話です。
-----
自宅で倒れた後ふと気づくと、Iさんは草原に置かれた棺桶の中に横たわっていました。隣には1歩で渡れるくらいの細い小川が流れていて、その小川を挟んでもう1つ棺桶が置いてありました。横たわってじっと何かを待っていると、横の小川が突然グンと巨大化して洪水のような濁流になり、隣の棺桶を飲み込んで流れていき、また静かな細い小川に戻りました。
まだしばらく横たわっていると、白い人影が現れました。その人影は「岡山の山の主」と名乗り、Iさんにお札を渡しながらこう告げました。「お前には特別にこの札を授ける。この札を持って帰るがよい。」その札を受け取った途端、Iさんは目が覚めました。目が覚めてしばらくは、自分は自宅のある大阪ではなく岡山にいると思い込んでいました。
-----
Iさんはパートナーさんと、「退院できたら、お札をくれた山の主を探しに岡山へ行こう」と話していました。ところが退院後、Iさんはこまめに世話をしてくれるパートナーさんにひどく八つ当たりするようになりました。あれほど頼りにしていた気功療法も、いちど自宅で受けてからはスッパリ止めてしまいました。そしてどんなに勧めても、山の主を探しに行こうとはしませんでした。そして退院から半年後、自宅で再び倒れて緊急搬送されましたが、病院に到着した時にはすでに息を引き取っていました。後日挨拶にいらしたパートナーさんが、「あの時無理してでも岡山に行ってれば…。」とつぶやいてポロリと涙をこぼしました。
想像の範囲内ですが、パートナーさんの言うように、本当に岡山に行って山の主を見つけ、お札をくれた理由に気づけていたら、Iさんのその後は変わっていたかも知れません。行って理由を知ったとしても、結果は何も変わらなかったかも知れません。ただ少なくとも、心残りはなかったように思います。
全ての方に支えられて、私たちがあります。
これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね
ありがとうございます。
明日も満ち足りた一日になぁれ