気功療法
あの世から戻った超スーパー気功療法師
橘奎志
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こんにちは。
えらいこっちゃシリーズも、めでたく最終回を迎えました。最後はちょっと長くなりましたが、どうぞ読んでください。
病院で不整脈を告げられて以降、旦那ちゃんの気功療法師としての活動をどうするか、長い時間をかけて、毎日話し合いました。
旦那ちゃんは20歳の時に、落下事故で死の淵をさまよいました。「お前はやり残した事があるから帰れ」と刻まれた謎の風船を胸に頂いて蘇ったものの、壮絶な後遺症に20年苦しみました。導かれるように気功と出会い奇跡の復活を遂げた旦那ちゃんは、やり残した事は気功だと確信し、その使命を果たすべく、自らも気功療法師となりました。(詳しくはテーマ「旦那ちゃんのこと」の2018年2月~3月の記事をご覧ください。)
旦那ちゃんは、使命である気功と真剣に向き合い、気力体力共に極限まで鍛え上げ、日々精進してきました。4年前のガン手術では要である下丹田を破壊されても、鬼気迫る修練で見事下丹田を復活させ、力強い気力を取り戻しました。そんな旦那ちゃんにとって気功は生涯現役、身を引くという選択肢は考えられませんでした。ただ、手術後に体力が落ちたのは、自覚していました。
気功に光を見いだし救いを求める人に、全力で向き合えないなら、気功療法師の資格はない。でも、気功は自分そのもので、気功を辞めるのは身を切り裂くのと同じ、生きていけない-旦那ちゃんの心は揺れて乱れて、迷いました。
「お母ちゃん、どうしたらええ?」行き詰まった旦那ちゃんは、お仏壇の前に座って母に語りかけました。母は答えを教える代わりに、自分が引退した時の話を静かに聞かせてくれました。
母は橘流琵琶第46代宗家でした。当時《死の病》と言われた結核に罹患してまだ間もない頃、母は祖父から「音がずれてる」と指摘されました。そして「物事には引き際、潮時がある。これから先、体力も続かんやろ。もう、ええんちゃうか。」と引退を促されました。お弟子さん達は皆、「それ(引退)でええんですか、まだやれますよ!」と引き留めました。しかし母は、一番の応援者である祖父の判断を信じ、宗家として恥じぬ演奏ができる体力があるうちにと、潔く引退を決めました。祖父はそんな母に、盛大な舞台を用意して、華々しい最後の花道を飾ってくれました。
「自分ではまだやれるつもりだったし、琵琶は私の命だったから、引退はとても辛かったわ。だから、今のあなたの気持ちはよく分かる。あなたが出した答えなら、私達は何も言わない。いつも見守ってることを忘れないで。」
母はそう言って、旦那ちゃんを優しく包みました。
答えが出ないまま翌日、旦那ちゃんと私は近所の川沿いの公園に行きました。2人並んでベンチに座り、日向ぼっこしながら静かに川の流れを見つめていました。すると旦那ちゃんの心に、フッと答えが訪れました。
僕は今まで、気功という人類の宝に真剣に向き合ってきた。だからこそ、全力でできないなら気功療法師を名乗ったらあかん。全力で向き合える体力がある今のうちに、潔く引退しよう。
とうとう答えは見つかりました。でも心が追いつかなくて、涙が溢れて止まりませんでした。旦那ちゃんの心の痛みが私にも伝わり、私も涙がこぼれました。2人の涙が止まるまで、並んで座ったままじっと川の流れを見つめ続けました。
こうして旦那ちゃんは気功療法から身を引く覚悟を決め、12月20日のライブ配信で、気功療法師の活動を終了しました。最後の遠隔気功はいかがでしたか?旦那ちゃんええ顔してるでしょ?
旦那ちゃんは気功療法師になって35年、その間に積み重ねた全てを、愛と感謝と共にこの配信に込めました。FacebookとYoutubeにあるその動画を開けば、いつでもその至極の気を受け取れます。これからも、たっぷり受け取ってくださいね。
さて、今年の報告はこれで終わりです。見える世界もみえない世界も織り交ぜたまさに激動、大騒ぎの毎日でした。でもこうして振り返ってみるとね、懐かしくて愛おしい毎日だったな、と思えます。
私達を支えてくださる神仏やご先祖様はもちろんですが、何より私達を応援してくださる全国の皆さんのお陰で、今日まで無事に歩んで来られました。本当にありがとうございました。
気功療法師は引退しましたが、旦那ちゃんはこれからものんびりペースで、気功や健康について情報を発信していきます。もちろん旦那ちゃんの近況なども、ご報告していきますね。
それでは皆さん、今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えください!
全ての方に支えられて、私たちがあります。
これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね
ありがとうございます。
明日も希望の一日になぁれ