花火花火花火気功療法花火花火花火

即効性はありません。
でも続ければ変われます!

あの世から戻った超スーパー気功療法師の旦那ちゃんが
活動再開!!

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こんにちは。

西宮は雨降ってます。晴れが続いてたのでちょっとホッとしました。こんな風に穏やかに降ってくれるといいんですよね。

さて、今日の旦那ちゃん体験記は久しぶりに長文でーす。

(いつもやん)

 

 

「抗がん剤どうするか決めましたか?」

退院後はじめての診察で、若先生は旦那ちゃんに聞きました。入院中に、抗がん剤どうするか考えとくように言われてました。旦那ちゃんも私も抗がん剤を受けるつもりは全くなかったので、答えは最初から決まってました。でも即行拒否するとどんな扱いを受けるか不安があったので、返事は保留にしてました。

 

「先生、僕じっくり考えました。抗がん剤は受けません。」

旦那ちゃんの小芝居を若先生はサラッと流して「ではストーマを外す手術に移りましょう。」そう言って年明けすぐの2019年1月8日入院、翌9日手術の予定を組みました。そしてまた、入院までに検査をひと通り受ける予定もショック

 

今回の手術は、前回造設したストーマの閉鎖手術です。右腹部の腸のうち、お腹の外に出ていた部分とその周辺の皮は切り取ります。内部にある腸も、皮膚に近い部分をちょっとだけ切り、奥のキレイな腸を繋いで1本にしてお腹に戻します。これで内臓が口から肛門まで1本でまた繋がり、昔のように肛門からウ〇コちゃんが出せるようになります。傷もストーマ部分の切除だけで済み、手術時間も前回よりグッと短かくて済むそうです。「手術の中では簡単な方ですので。」若先生はPCの画面を見つめたまま淡々と言いました。

 

さぁ、2回目の手術に向けての準備です。

前回、3週間弱の入院で体重が9kg落ちて40kgを切りました。今回は40kgを切らないのを目標にしました。入院までに体重は46kgまで戻しました。気もたっぷり充電しました。術後回復には前回の救世主グリーンスムージーと新登場の糀甘酒を準備。いつでも修行ができるように気功の音楽もイヤホン付きでバッチリ用意しました。

 

病気にはストレスが最大の敵です。入院中に前回のような無用なトラブルを避けるため、旦那ちゃんと「なるべく病院には逆らわないでいよう」と清い決意をし、真っ白な心で病院に向かいました。…ところが、よほど相性が悪いのか?数々のトラブル達が待ち構えていましたえーん

 

入院初日、指示どおり朝9時半に入院手続きを済ませ、病棟に行きました。病棟で「待って」と言われたまま忘れられて2時間ロビーで放置から始まり、退院するまでの11日間、数々の(今どきの病院でこんなことある?)とビックリする対応を目にしました。

 

2019年1月9日-手術当日。

旦那ちゃんの手術は午後からの予定でした。簡単な手術なので2~3時間で終わり、回復室は使わず病室に直接戻る、と聞きました。お呼びがかかり、旦那ちゃんは手術室まで歩いて向かいました。私は笑顔で手を振って見送り、ロビーで本を読みながら(ウトウトしながら)待ちました。

 

夕方5時を過ぎ、(連絡ないなぁ)と思った途端、急に胸騒ぎがしてとても嫌な予感がしました。夕方6時を過ぎて、ようやく手術が終わった連絡がありました。手術の説明のため、前回の相談室ではなく処置室へと呼ばれました。

 

処置室では、青いゴミ袋を持った若先生が立って待っていました。私が入ると、若先生はゴミ袋から、さっき切り取った旦那ちゃんの腸を取り出して無造作に置き、ボソボソッと説明を始めました。手術は順調だったけど、最後にちょっとあって遅くなりました、とのこと。その「ちょっとあって」の説明はなく、「手術は問題ありません。」を繰り返しました。そして置いた腸を指さし、「これ、持って帰ります?」

 

手術で切除した部分を持ち帰るなんて聞いたことない。突然の予想外な言葉に呆気にとられ、「…いいえ。」と答えると、「じゃ、捨てますね。」そう言って、若先生は目の前でさっきまで旦那ちゃんにくっついてた腸をつまみ上げ、さっきの青いゴミ袋にポイッと無造作に投げ入れ、「はい、ではこれで。」

……。

そりゃね、いらないとは言ったけどさ、目の前でそんな風に捨てないでよ。

 

その間に旦那ちゃんは、病室ではなくナースステーション向かいの観察室に運ばれていました。ベッド脇では複数の医師と看護師がヒソヒソ話してて、私を見ると部屋から出て行きました。

 

声をかけようと近づくと、旦那ちゃんは泣いていました。泣きながら言いました。「足が動かん、足がないねん。」え?足あるよ?聞くと、腰から下の感覚が消えていて、全然動かすことができなくなっていました。旦那ちゃんは目から大粒の涙をポロポロこぼしながら、「足ある?足が動かん。」と何度も訴えてきます。自分で動かせないのはもちろん、トントン叩いても触っても全然感触がなく、私は慌てました。

 

看護師さんは来ますが、私の視線を避けて機器をチェックするとすぐ出て行きます。誰も、何が起こってるのか教えてくれません。私は最初の驚きが不信と不安に変わっていきました。さっきの「ちょっとあって」ってのはこの事?何があってこうなったん?

 

ようやく若先生とは別の医師がやって来て、言いにくそうに話し出しました。「腰から下がマヒしています。原因は分かりませんが、もしかしたら痛み止め用に脊髄へ挿入したチューブが神経を傷つけたかもしれません。原因が分からないので様子をみています。」

 

(↓心の声)

はぁっ?

今度の手術は簡単や、って言うたやん。

なんで治療部分と全然別の処置でマヒになんねん。

様子みるって、要は「放ったらかします」なんちゃうんけ?

執刀した若先生はどこ行ってん?

このまま歩けんようなったら…どないしてくれんねん!

 

私の顔が、無言の怒りで般若のように豹変したのが迫力満点だったのか、その医師は慌てて出て行きました。夜7時を過ぎても、旦那ちゃんの足は動かないまま、原因は分からないまま、ただ様子をみるだけでした。あぁ、エラいことしてもうた、これで旦那ちゃんが歩かれへんようなったらどないしよ。手術なんか勧めんかったら良かった…旦那ちゃんの足をさすりながら、後悔で胸が苦しくなりました。

 

事態が動いたのは夜8時前。麻酔科の先生がやってきてひと言、「もしかしたら鎮痛剤のせいかもしれません。」旦那ちゃんの手術の終りに、麻酔が切れても痛まないように鎮痛剤を身体に大量に入れたそうです。その鎮痛剤は、効き過ぎると一時的に力が入らなくなったり、軽いマヒ状態になったりするらしく、旦那ちゃんには量が多すぎた可能性があるようでした。時間が経って薬が切れてくると足が動くかも、それまで様子を見ましょう、と言われました。

 

その言葉どおり、しばらくすると左足の親指がピクリと動きだしました。それから徐々にマヒがほどけていき、夜8時半には右足の親指もピクピクとわずかに動かせるようになりました。

「あっ!動いた!やったぁ~!」ホッとしたのと嬉しいのとで、私の腰が抜けました。

 

「橘さ~ん、入りますよ~。」

聞き覚えのある声に振り返ると、前回の手術の時に介抱してくれた看護師さんが入ってきました。いちばんテキパキと動き、旦那ちゃんを優しく力強く、そして細やかに介抱してくれた人です。今夜はこの看護師さんが担当になったと聞いて、旦那ちゃんも私もホッと安心しました。この人になら安心して任せられる。この看護師さんがいてくれることに心の底から感謝しました。

 

安心したらどっと疲れが出ました。足のマヒは動くメドがついたし、あの看護師さんもいる。明日からまた術後回復で大忙しやから、それに備えて休んでおこう。旦那ちゃんに「明日スムージーと甘酒持ってくるね。」そう言って、家に戻りました。

 

…余談ですが。

旦那ちゃん、この観察室での出来事を全然覚えてないそうです。あんなに泣きながら訴えてたのに…。麻酔科の先生が来て話したあたりからはうっすら覚えてるそうです。まだ麻酔が効いてたのか?辛すぎて記憶を消去したのか?う~ん、不思議です。

 

続きはまた次回。

 

 

当面の間、気功療法のご相談は個人セッションと遠隔気功にて承ります。グループセッションは不定期に開催で、企画したらこのブログ、Facebook、HPでお知らせします。

 

全ての方に支えられて、私たちがあります。

これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね花束

ありがとうございます。

明日ものんびりな一日になぁれキラキララブラブキラキラゲラゲラ