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こんばんは。

昨日、今日とあっつい!私が雪おんなやったら溶けてる~。

皆さん暑さ対策忘れないでくださいね。

 

 

今日は久しぶりに旦那ちゃんのお話。

中学卒業が迫ったある日、M先生が旦那ちゃんを呼びました。

「たっすん(旦那ちゃんのあだ名)、お前が言うてた、らんま職人の就職先が見つからんかった、ごめんな。」

 

 

M先生は、以前旦那ちゃんがポツリとつぶやいた「お寺とかにあるらんまを作る職人になりたい」というひと言を覚えていて、ずっと就職先として探してくれていたんです。募集がないなら仕方ありません。卒業と同時に、小さな建設会社へタイル職人として「でっち奉公」することが決まりました。

(でっち奉公した建設会社の社員旅行。)
(旦那ちゃんは前列左、親方は右から2番目でコート着用。)

 

 

その建設会社は、時代劇などでたまに見る「でっち奉公」制度が、まだ残っていました。

 

 

でっち奉公とは、住み込みでその仕事の技術を学ぶ制度です。でっちとして3年、その後お礼奉公として1年、働きます。まだ「半人前」なので正式なお給料はありませんが、月に2~3,000円はお小遣いがもらえます。他にはたまに親方が気まぐれに、「小遣いやるわ」と言って、ポケットにある小銭をチャリチャリ~ン、とくれました。住み込みで衣食住の面倒は全てみてもらえるので、生活には困りません。

 

 

でっち奉公の暮らしはいつも腹ペコです。

毎朝、親方と女将さんはじめ、熟練の職人さん達と一緒に朝食を摂りますが、そこには鉄の掟がありました。

 

「親方が箸を持ったら食べて良し、箸を置いたら食べるの止め」

 

だから、みんな皆殺気だって「我先に」とご飯を掻き込みます。お給仕は新米の仕事です。旦那ちゃんが自分の口へご飯を運ぶ間がないほど、皆のおかわりのお世話に追われ、気づけば親方が箸を置いて食事タイム終了…いつもお腹を空かせていました。

 

 

ある日、我慢できずに、食事の片付けをしながら親方の目を盗んで味噌汁をすすりました。すると後頭部にガツンと衝撃が!どこからか見ていた親方に「この大飯喰らいが!いつまで喰うとるんや!」とどつかれました。

 

「どこが大飯喰らいやねん、まだ何も喰うてへんわ!」

 

戦闘モードのスイッチが入りそうになった時、女将さんが「見つからんように隠れてお食べ」とこっそりおにぎりを手渡してくれました。

 

 

先輩の職人さん達は、気は荒いけど親切で、よく旦那ちゃんをかわいがってくれました。「でっち期間」を終了している兄弟子は特にかわいがってくれて、夜中にこっそり(親方にはバレてましたが)、キレイなお姉ちゃんが沢山いるお店によく連れて行ってくれました。

 

門限時間後の外出は禁止でしたが、シーツを結んで作ったロープを2階から吊してそぉ~っと抜け出していたそうですが、たまに親方から怒鳴られました。

 

「コラァお前ら!夜さりにパリッとしょうろくしてどこ行きさらすねん!(訳:あら皆さん、夜中に粋な服装してどこへお出かけ?)」

 

 

はじめてお小遣いをもらった時、旦那ちゃんは全額持ってすぐに近所のモモ農家のおっちゃん家へ走りました。おっちゃんと約束していたからです。

 

「おっちゃん!お金持って来た!約束のモモ詰めて!」

 

木箱(当時まだ段ボールじゃなかったそうです)にビッチリ美味しそうなモモを詰めてもらい、担いでMのおばちゃんに届けに行きました。

 

Mのおばちゃんは目を丸くして喜んでくれました。

「あんたこんなに沢山…食べきられへんくらいあるやん。ありがとうね。」旦那ちゃんはMのおばちゃんの笑顔が嬉しくて嬉しくて、今でもあの笑顔を覚えています。Mのおばちゃんも、木箱を肩に担いで満面の笑顔で立つ旦那ちゃんをよく覚えているそうです。

 

 

でっち期間の旦那ちゃんは、のびのび暮らしました。

仲良くなった近所のノブとその仲間達と一緒にスキー旅行に行ったり、兄弟子のツケでキレイなお姉ちゃんが沢山いるお店に単独で行ったり、兄弟子がようやく買ったカブ(ミニバイクみたいなの)を無免許で乗り回したり、遊びに来た親方のお友達のハゲ頭を後ろからペチンと叩いたり…後半やりたい放題やん。

 

 

そういえば、このカブで旦那ちゃんは空を飛んでます(よぅ飛ぶなぁ)。夕暮れにカブを「借りるでぇ~」のひと言で勝手に借りて無免許で山道を乗り回し、暗くなったので帰ろうと坂道を下っていたところ、暗くてカーブに気づかずに、そのままカーブを直進!E.T.もビックリの空中散歩をしました。運良く(?)植えたばかりの田んぼに着地。カブは水没、旦那ちゃんはドロドロの姿でトボトボと歩いて帰り、兄弟子と田んぼの持ち主にどエラい怒られました。

 

 

しかし、仕事はチョー真面目にやりました。もともと手先が器用なので腕も達者、そこがまた兄弟子や職人達に可愛がられる理由の一つでした。仕事先ではたまに、宮大工の職人さんと一緒に作業する事もありました。その素晴らしい技に惚れ惚れして、いつまでも眺めていました。

 

 

でっち3年、お礼1年、合計4年のでっち期間がようやく明けたその日、ようやく「職人」となる日がやって来ました。今まで「おい、小僧」とどついたり怒鳴ったりしていた親方が、きちんと旦那ちゃんに居ずまいを正して頭を下げ、こう言いました。

 

「橘さん、今日から職人です。よろしくお願いします。」

 

それから外の世界も経験した方が今後の為になる、とアドバイスをもらったので、別の建設会社に移ってさらなる技術の向上を図ることにしました。

 

 

その移った先の会社での作業現場で、あの運命の落下事故を経験することになりました。

 

 

 

全ての方に支えられて、私たちがあります。

これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね花束

ありがとうございます。

明日もココロ軽やかな一日になぁれキラキララブラブキラキラドキドキ