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今日は旦那ちゃんと産みの母のちょっと不思議なお話。
 

 

旦那ちゃんと結婚して、たぶん3~4年たった頃のことです。

ある晩、旦那ちゃんが寝ていると、夜中にツンツン、とつつかれて起きました。見ると、枕元に小汚い仙人(たぶん旦那ちゃんの前世の姿)が立ち、持っている杖で旦那ちゃんをツンツンしています。目が合うと、その仙人は言いました。「お前の母が待ってるぞ、迎えに行け。」-「はい」と返事はしたものの…迎えに行けってどこへどうやって?

 

 

翌日、悩んでいると仲良しのてるちゃんから電話がかかってきました。「夕べ変な夢みてん。」話を聞くと、小汚い仙人が現れ、何かを一所懸命にしゃべってたそうです。あれ?僕の夢とそっくり。旦那ちゃんは自分の夢を話しました。「迎えに行け、言うてるから一緒に行こ音譜」2ヶ月先まで休みなしの予定だったてるちゃん。最初は断ったのですが、なぜか急に仕事がキャンセルになり、週末に3人で行けることになりました。

 


戸籍の記録を頼りに、母が最後を過ごした病院があったであろう地域を絞り込み、そこで聞き込みをすることにしました。

 

 

その前夜。

ふと、妙な気配で目が覚めました。すると、隣で寝ていた旦那ちゃんが、目を閉じたままムクリと起き、仏壇の前に正座しました。…変な話ですが、旦那ちゃんは臨死体験で生き返ってから、たまにイタコさんのように身体を貸すことがあります。今夜はどなたかな?様子をうかがっていると、旦那ちゃんの母でした。(ちなみに。私はそれまでにも数回、この形式で母と話したことがあります。)

(旦那ちゃんの母。旦那ちゃんはお母さん似です音譜

 

母はとても嬉しそうに、「待ってますからね。」と言いました。

迎えに行く場所がハッキリ分からなかったので、「病院があった場所の近くまで行ったら、案内してくださいね。」と頼むと、ニコニコしてうなずきました。

 

 

そして翌朝。

てるちゃんが運転する車で、目的の地域へ行きました。しかし、60年前の地名と今の地名が違います。さてここからどうするか。ちょうど通りかかった村人に尋ねると、派出所を教えてくれました。派出所で事情を話すと、お巡りさんは「この先に、確か昔、結核の隔離病院があったと聞いたことがあるよ」と教えてくれました。

 

そこや!

詳しい場所を聞いて、早速行きました。

 

そこは人里から離れた山の中に、ポツンとありました。
現在は老人ホームになっていました。ダメ元で受付へ行き、昔の話を聞いてみましたが、「病院があったとは聞いたことありますが…」くらいで、詳しい話は聞けませんでした。


玄関から出ると、旦那ちゃんの様子が変わりました。「あぁ、見える!」といって、熱心に建物の説明を始めました。

 

 

「ここが門でね、ここからコッチが女性棟、あっちが男性棟やってん。お父ちゃんはあっちの男性棟に一緒に入院しててんけど、男やから行き来でけへんかってん。…ここの女性棟の…ココや、ココが病室で、お母ちゃんはコッチの窓際のベッドやってん。」そう言って、今は老人ホームのロビーになっている場所を、外から窓越しにのぞき込み、3人揃って号泣しました。(中の人は怖かったでしょうね。)

 

 

駐車場のど真ん中へ行くと、「ココや!ココは中庭やってん。でね、…あ、ココ。ココにいっつも立って僕がいてる施設の方角…あ、あっちや。あっちを毎日眺めててん。(あの山の向こうにあの子達がいる)、そう思って毎日眺めててん。あ~…アカン、動かれへん。」

そう言って、駐車場のど真ん中に大の字で寝っ転がり、しばらく動きませんでした。怪しんだ老人ホームのスタッフが、遠巻きにこちらの様子をうかがいます。てるちゃんと私はハラハラしますが、旦那ちゃんはお構いなし。泣きながら大の字で動きませんでした。

 

 

だいぶん経って、ようやく車に乗り込み、今度は旦那ちゃんが預けられていた施設跡地へ移動しました。小高い丘のその地は、今は普通の住宅地になっていましたが、昔の名残の竹藪が残っていました。旦那ちゃんは熱心に説明します。「そうそう、この竹藪は施設の端っこやってん。ずーっと向こうまで施設の敷地やってんで。僕この竹藪抜けて何回も脱走してん。ほんでね、この先に施設の門があって、門を入ったすぐの玄関前に大きなシュロの木があってね、お父ちゃんが死んだって聞いた日にシュロに登って泣いて…あ?まだある…あれや。」

 

 

旦那ちゃんが説明するその先に、説明そのままの門と玄関とでっかいシュロの木が、そのままありました。…マジっすか!?タイムスリップしたみたいな不思議な感覚。

そこは、旦那ちゃんがいた頃とは規模が全然違いますが、今でも児童施設となっていました。ご迷惑になるので中に入るのは遠慮しましたが、外から眺めさせてもらいました。

 

 

帰り道、旦那ちゃんがひどい車酔いで、何度も車を止めてケロケロしました。車慣れのてるちゃんは、「車酔いって普通は…帰りは慣れて楽になるもんやけどなぁ。なんで帰りの方がひどいん?」と不思議がっていました。

 

 

家まで戻ると、あまりに旦那ちゃんの体調が悪いので、てるちゃんは「晩ご飯はまた今度」といって帰りました。旦那ちゃんを支えながら布団へ行くと、旦那ちゃんが仏壇の前でピタリと止まり、倒れました。起き上がると、旦那ちゃんの身体を借りた母がいました。


「あの場所はね、来てはならない場所だったの。」-そう切り出して、当時の様子を聞かせてくれました。
建物の配置や中庭の話、旦那ちゃんがいる施設の方角を眺めて泣き過ごしたことなど、旦那ちゃんが熱心に話していたことと同じでした。「死の病」の隔離病棟だったから恐れて誰も見舞いに来なくて寂しかったそうです。「あそこへ見舞いに来てくれたのは、あなた達が初めてよ。」

 

 

そして、旦那ちゃんが生まれた時の様子も、詳しく話してくれました。自分の命と引き換えに、苦しみの末にようやく産んだ我が子は、産声を聞くより先に、もう隣の部屋へ連れて行かれたそうです。「せめて顔だけでも見せて」と頼みましたが、だれも耳を貸してはくれませんでした。その悲しみは、亡くなるまでずっと癒やされる事はありませんでした。
 

 

「60年、ずっと待ってたの。迎えに来てくれてありがとう。」

そう言って母は体から離れ、旦那ちゃんが身体に戻ってきました。母は60年かけてようやく、ウチへ帰ってきました。

 

 

「あの子に会いたい、病気でなければ一緒に暮らせたのに。」そう想い続けたその場所へ、60年も母は縛られていました。旦那ちゃんがあの場所で寝っ転がった時、きっと母をおんぶしたんです。施設の跡地で熱心に語ってたのは、きっとおんぶした母に聞かせてたんでしょう。


母のように、身体は無くなっても、その想いがその地に残像=思念として残ることがあるのを知りました。今を後悔でいっぱいにすると、その想いが自分を縛ってしまうこともあるんです。ということは、今を思うとおりに精一杯生きることが、自分を解放することにも繋がるんだと思います。過去でもなく、未来でもない、「今」を、思いっきり味わって生きる。それが幸せに繋がる大切なことなんじゃないかな。母がそう言っているように思います。

 

 

今日も、父と母はお仏壇からニコニコ私達を見てくれています。

きっとお仏壇の向こうで、母は父に得意の琵琶を聞かせていると思います。連れて帰れてよかった音譜

 

 


全ての方に支えられて、私たちがあります。

これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね花束

ありがとうございます。

明日も輝く一日になぁれキラキララブラブキラキラキラキラキラキラ