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こんにちは。
今日は旦那ちゃんの体験談-気功との出会い編です。
手術も無事済み、落ち着いてくると、胸の中央にある違和感に気づきました。胸の中央、皮膚のすぐ下で、ちょうどピンポン球くらいの大きさの風船がプカプカ、コロコロと存在を主張します。そして、その風船の表面に、あの闇の世界から戻る時に聞いた「お前はやり残した事があるから帰れ」という言葉が、ハッキリと刻まれているのが感覚で分かります。
医師に聞いても「検査では何もないよ」と言われます。じゃあこの感覚は何なん?結局分からないまま丸2年入院生活をしました。
退院してから、本当の苦しみが待っていました。壮絶な後遺症との戦いで、入退院の繰り返しでした。割れるような頭痛と嘔吐感は毎日で、急に襲う脱力で倒れたりもしました。自分のまばたきの音が頭に響いて嘔吐した事も度々です。ひと月入院してようやく退院したその日の夕方にまた入院する事も珍しくはありませんでした。
身体に良い、と聞いた事は何でも試しました。確かに効果があったものもありましたが一時的なもので、すぐに割れるような頭痛と吐き気が帰ってきます。見えない出口を探して永遠に暗闇の中をさまようような気がして、正気を保つのが困難でした。
あまりの苦しさに、うつ症状も起こりました。「このまま死ねば楽になる」と泣きながら自分に包丁を向けた事もあります。
ただ、そうやって苦しみの中でもがく度に、胸の中央のあの風船が、プカリプカリと存在を主張していました。
そんな苦しみが20年続いたある日、電車の中吊り広告にふと目が止まりました。そこに書かれた「気功」という文字がピカーッと金色に光り輝き、コチラに迫ってくるように感じました。
「コレは何かある!絶対何かある!」
そう直感し、すぐに気功教室を探して通い始めました。
初めて知った気功は「先天一元気功」という気功で、大阪の天満橋のビルの一角にその教室がありました。中国からいらした柯先生が教えるその教室は週1回です。「自宅で見ながら練習したいから」とビデオ撮影を頼んだところ、柯先生は「こんな熱心な生徒なら喜んで!」と、わざわざ正装して撮影に臨んでくださいました。そのビデオを頼りに、毎日数時間、死に物狂いで練習しました。
気功を始めてから、日に日に体調が整っていきました。やはりコレはただ事じゃない、どエラいもんに出会ったぞ!とますます熱心に取り組みました。そして、今度は気功師として、自分と同じように苦しむ人たちを助けたい、と思うようになりました。
半年ほど経ったある日、思い切って柯先生に「患者としてではなく、気功師としての気功を教えて欲しい」と頼みました。柯先生は「一子相伝だから教えない」と突っぱねました。それからほぼ半年間、教室はもちろん柯先生の自宅にまでも毎日ついて行って、「教えて欲しい」と訴えました。
とうとう我慢の限界に達した柯先生から、「お前はしつこい!なんでそんなにしつこいんだ?」と聞かれました。旦那ちゃんは背中の傷を見せ、落下事故から今に至るまでの話をしました。そして、「気功で救われた自分のように、病で苦しむ人たちが救われる手助けをしたいんです」と訴えました。
柯先生は黙って旦那ちゃんの背中の痛々しい傷跡をじっと見つめ、「明日、教室が終わってから。」とひと言告げて帰って行きました。
翌日の気功教室が終わってからは…次回へ続く。
明日も一日良い日になぁれ






