おはようございます☀️

昨日は、舞鶴のまなびあむさんでみとりしの上映会を開催致しました。

当日、急遽ご参加下さった方もおられて、6名様にご参加いただきました。

 

上映会後には、皆さんにご感想をシェアして頂きました。

皆さん、ご自身の事や経験から感じた事をシェアして下さって、とても心に響きました。

どう看取るのが良かったのか?

私も未だに母の事を思い出します。

答えは出ませんが、それでも自分は精一杯やったんだということは、認めてもいいんだと思います。

皆さん

優しい時間をありがとうございました。



終わってから、1階のカフェでお茶しながら、閉店まで話してました。

ご一緒してくれて、ありがとうございました👏



一昨日は、父のコロナワクチンの接種に付き添ってきました。

 

最近、父との思い出を振り返っているので、ブログに書き留めておきたいと思います。

 

父は、私と妹が小さい頃から、ブランコや鉄棒を作ったり、魚釣りに連れて行ってくれたり、とても子煩悩な人で、孫たちともいっぱい遊んでくれました。

 

私から見ても、変わり者な人で、自由人でわが道を行く父のDNAを(私が)受け継いでいるように思います。

 

若い頃からじっとしていない人でした。

友達と野球をしたり、ドライブに出かけたり、自分で小屋を立てたり、自分で建てた家を大切にしていました。

仕事を辞めてからは、区長をしたり、グランドゴルフに近所のおばちゃん達と一緒に出かけたりしていました。

 

 

私が21歳で結婚した時に、父が泣いていたのを初めて見ました。

 

あれから34年経ちました。

離婚をした時も、再婚した時も

父にはたくさんお世話になって、たくさん苦労をかけたと思います。

 

今の父は、枯れ木のようです。

一生懸命、力を振り絞って、足を前に出して生きているように思えます。

 

一昨日は、ワクチン接種後に、車に乗ろうとしたら靴底が取れたので、帰りにお店によって、靴をプレゼントしました。

これは、神様の計らいのように思いました。

全てはベストなタイミング。

ボロボロの靴を履いていたので、奮発してニューバランスのシューズを買いました。

 

これで、少し歩きやすくなると思います。

 

父が

「わしはいつまで生きるんやろ?」

とポツリと言いました。

 

お釈迦様は、生老病死の苦があると説かれましたが、生きることも苦しみの1つだと、父を見ていると感じます。

 

私には到底分からない寂しさや苦しみに、必死に耐えながら生きる父の背中を見させてもらっています。

 

きっと、もっと歳を取ったら、いつか

「父はこんな気持ちで言ってたのかもしれない」

と分かると思います。

 

今の私には、父がいてくれるだけで嬉しいし、私がキツい事を言ってもさらりと受け流してくれる父の存在がありがたいのです。

 

これからどうなるのか?を考えると不安になります。

でも、いつか来る分かれ道までの道のりを一緒に歩いていると思うと、どんな景色も明るく綺麗に見えます。

 

看取り士になったのだから、父を看取ろうと決めた瞬間に、何かから解放されたような、安心感がわいてきました。

 

やろうとしてることは大変なのですが、心が軽くなったのです。

 

父との別れがいつ来るのか分かりませんが、その分れ道まで、楽しく歩いていこうと思います。

 

父と向き合うことは自分と向き合うこと。

そう思っています。