ツリキチ ~稜線上のアリア~

ツリキチ ~稜線上のアリア~

日本アルプス(少し)~岩(少し)~低山バリエーション~低山・里山・川・
湖(山上湖・ダム湖・琵琶湖)海・釣り

アウトドアマン的には素晴らしい天気です。

細々と自然を感じて。

もう、他のソースカツ丼は食えません。庶民的な値段。

柴田勝家が誘ってくれた。

中年の守護神ですね。誰しもが勝つわけでわ無い、負けの美学。いや、志は、秀吉に負けてはいないのではないか?お市の方には良く理解を得ていたことを考えると、むしろかっこいい。これにて御朱印帳ライフ始まり。

『足羽川』がどことなく『神通川』に似ており、富山の風情や、空気を感じます。

越前海岸は美しい。





























畑のカブやら何やら、全てが菜の花畑に。
体調不良やら、天候不良、異常気象で、片手間のお遊びが難しくなってきた。
引き抜いた雑草以外は、ぶつ切りにして土に埋め戻し、釣り用のミミズの残りを放虫。夏は、放置プレーの、小玉スイカや、マクワウリでお茶を濁しそうです。(笑)
最近、川の雑魚や、フナ釣り、コイ釣りに目覚めて、近くの上流を偵察に。居るわ居るわ!20センチくらいのデカイのが逃げ、メダカより小さい稚魚が群れている。
家を拠点に安価に遊べます。





フラッと琵琶湖最南端の湖岸へ。

残雪の比良山地と、早咲きの河津桜と、女子学生。

休もんスマホですが、花粉も少なめで良い日でした。

明日は、黄砂が凄いらしいので、辛いら。




暑い夏でしたね。
皆様は、と言っても、10人も居ないかもしれない方々も、お元気でしたでしょうか?
前回の、初春の記事を秋に書いてから、早一年。ほったらかしの椎茸のホダ木から走りの椎茸が一つ。
山には行けていません。あの頃の自分と、今、走り続ける人たちが重なり、もう隠居だなあと痛感。

異常気象に、減る手取りと。まあそれでも、週末に晴れれば、自宅で炙ってます。





最近は七輪にハマっています。というか、20年くらい前に買った七輪二つと、家で嘉門次小屋をしたいので買った角形七輪を使い分けて。

炭は、クオリティはイマイチだが、滋賀県琵琶湖の水源のマキノの炭『夢炭ムータン』が、後継者不足にて、終わりなんで、滋賀県湖北の余呉の炭に切り替えていってます。

山道具も10年選手。更新はもっぱらワークマン(笑)。使えるものと使えない物の判別をしながら、畑や通勤に着たりして。

時代はユー〇〇や、ツ〇〇の時代。
ですが、つぶやいていきます。

お久しぶりです!コロナ→7月にかかりました。給料→ふえてないけど、舶来物の山道具はバカ値上がり。

アメブロの旧友がどうなられたか、このあとお邪魔させていただきたいとおもいます。

春の鈴鹿敗退記でも。

2022年、3月。
残雪期の鈴鹿山地『日本コバ』に。雪の為に最後の岩場攻略能わず。Tシャツのsizeを間違って買ったので、来年、また買い直したいと思います。(笑)













さあ、皆さん。攻めの季節。

そろそろ、暑さ打破できるか?
低山攻め開始。
手始めに、近江富士こと、『三上山』

裏道から、大好きな『姥の懐』経由。

愛される理由は、単調な円錐の山と思いきや、登山道は、歴史と、バラエティーと、ミステリーと、ドラマに富んでいる。
滋賀県の全てのパワースポットの巨石は、この三上山を向いているとも言われている。
それと、平野部の、町中に突如現る感じはなかなかない。山頂は、涼やか。塩元帥でラー活。

大阪の山友のクリエイターの作る『ナコタ』の帽子、良好。








またまた皆さんお久しぶりです。
多分見てくださっているのは、数名ワハハ。チンガタ567にもかかってませんぞ。

梅雨終わりの初夏の晴れ間に、広葉樹の緑心地よかった。

戦国時代でも、真面目なガチの城攻めは余りないとのこと。
戦国の風雲児(古表現かな)織田信長、羽柴秀吉ら
          対
滋賀県、江北の雄 浅井長政 父子と、同盟朝倉軍。

朝倉軍は、浅井長政の祖父の代に本城があった『大嶽』へ布陣も、雨夜に、転進?したところを信長本隊に追撃された。福井県の『疋田(壇)城』(現 疋田 ひきた)も蹴散らされ、伝承では

  • 元亀元年(1570年)
    • 4月26日 織田信長による越前攻めで、金ヶ崎城手筒山城と共に疋壇城が落城。
    • 4月27日 浅井長政の裏切りで、信長が撤退。その後、疋壇城は修復され、栂野三郎右衛門尉景仍らが布陣。
  • 天正元年(1573年)
    • 8月12日 信長が二回めの越前攻略、疋壇城は再び攻め落とされた。
    • 8月13日 刀根坂の戦いで朝倉軍大敗。
    • 8月20日 一乗谷にて朝倉氏滅亡。

伝承編集

疋壇城には落城時の悲話が伝わる。刀根坂の戦いで朝倉軍は三千名以上の戦死者を出した。疋壇城で囚われの身となった家臣の鳥居与七郎の妻は、軍卒らの乱暴を受けそうになった。そこで彼女は、「私の父と夫は刀根にて戦死し、母と姉は行方不明だが生きていると思うので、私の身の上を伝えたい。その望みが叶えば御意に従う。」と言った。紙と筆を与え、書状を書き終えると、彼女は近くの古井戸に身を投げた。残した書状を見ると、「世にふれば よしなき雲ぞ おほふらん いざいりてまし 山の端の月」(自らを月にたとえ、生きてこのまま辱めを受けるなら死んでしまおう という意)とあった。軍卒らもその貞烈に涙したという。

刀根坂の戦いで戦死した武将の墓と言われるものが疋田にいくつかある。そのうちのひとつは、五位川笙の川の合流地点の橋のたもと、国道8号沿い、山麓にある。国道工事の際、多数出てきたものということである。
とのこと。

浅井長政に、お市の方を嫁がせた信長軍らは、羽柴秀吉の攻めと調略による攻撃で、浅井の父子を分断。

伝説によれば、最後本丸から500名余りの浅井方が突撃し、長政は、重臣 赤尾の屋敷にて城を枕に切腹。

各場所の説明板の整備良好。谷の屋敷跡は、その後江戸幕府へ続く、浅井三姉妹の笑い声が聞こえてきたような。
      















皆さんお元気ですか。
私も皆さんと同じで、変化する環境に必死でした。
ただ、変わらないのは、10年来の信頼の山友との山行。
金や会の山友はもう関係が立ち消える。
YouTuber全盛。
しかし、こういうブログがあればこそ、数少ない繋がりもある。

いつも通り、滋賀県大津市の国分から、京都との県境のコース。
よく調べると、最低でも、二つの山を越えていることに気づく。牛尾山と、音羽山。

初夏の上高地のような…。




お久しぶりです。
山は最近行けてません。

梅ジュース(梅シロップ)作ったり、


プランター菜園を楽しんだり。

アメブロの永い付き合いの方々も少なくなり。
なんですか、これ程低迷した社会を覆したいので、ボチボチまた書いて行きます。

ただ、情報が、手軽に入る今…、(アメブロ開設当初はスマホ無かった。)これからは楽しいをモットーにブログやって行きたいです。
皆様お元気でしょうか?
年末からしばらくはアメブロお休みしておりました。
まず一本。知る人ぞ知るあの紅葉を見に行きました。
気候変動で、核心部の中でも、ほんの核心部しか100点満点でなかったですが。まるで、アナ雪2💓😄
剥いてる里芋は、なかなか滋賀県にはないので、買い込みすぎて食いきれませんでした。😁次回からは一袋だけにしますわ。