ウォーキングを毎朝1時間半~2時間やるようになって、約2ヵ月半が経つが、習慣化するまでキツかったのは、やはり早起きだった。
 でも、ウォーキングはやっている間中、気持ちいいのがわかっているから、一度起きてしまえば、気持ちいいことが待っている!と自然に思えて、習慣化するのは、比較的容易だった。ジョギングとの違いはそこだ。
 フルマラソンをぼちぼちのタイムで走れる自分でも、毎日ジョギングするのは、なかなかできなかった。ジョギングをする時は、いつも自分を追い込んでハードにトレーニングしないと気が済まなかったので、練習中は苦しくてしょうがなかったから、ある意味当たり前だけど。

 ウォーキング……などとちょっとカッコつけたもの言いだけど、だいたい一秒間に二歩のペースを守ること以外は、殆どコツもない。ただ背筋を伸ばして、リラックスして歩くだけ。でも、特に苦もなく続いているのは、爽快感や気持ちよさ、楽しさなどを本気で実感できているからだと思う。

 歩いてる間は、頭の働きが活発になって、いろんな気づきや発見があったりするので、二時間なんてあっという間だ。また、そういう意味において、座禅などが静の瞑想なら、ウォーキングは動の瞑想と言えそうだ。

 ウォーキングを毎日やるようになって良かったことは、いろいろあるが、まずは自分の人生?の流れ・バイオリズムが少しずつよくなっているような気がすること。
 また、長い間、毎日のようにお出でになる吐き気や片頭痛、身体中の痛みなどとの闘いの日々も、完全に終わりを迎えるような気が、本気でしていること(元々は精神的なことが原因だったのだが(…とは言っても、原因だと思われることがわかったのはここ数年のことだが)、体調が酷いのが習慣づいてしまって、なかなか治らなくなってしまった)。
 それは、同時期に心理療法やレイキ(…は、これから)、エネルギーワークを受けたというのも、スゴく大きい。そこでは、一生の友と学びなど非常に多くを得ることもできた。いい流れに乗りつつある証のような気がしている。

 今までのパターンだと、どんなに良い!効く!と言われる治療なりをしても、一度完治した、やった~!……と感じても、しばらくすると強力なホメオスタシス(脳が元の状態に戻ろうとする働き。体温調整などもそれにあたる)によって、強力に元の状態に引き戻されていた。
 それが今は、「今度こそ、ホントに完治しそうだ!」という予感がしているのだ。自分からしたら、20年余り付き合っているものなので、奇跡のような予感である。
こう書いてみると、かなり軽そうな症状に思われそうだが、四六時中ものすごく痛くて、ホントに気が狂いそうな感じ、死ぬんじゃないかという感じ、しまいには、そんなすべてのことに疲れはて、走ってくる電車に吸い込まれそうになったことも、何十回もある、そんな症状を呈してしたので、完治したらまさに、新しい自分に生まれ変わるような感じがするかもしれない(今は、症状はだいぶ軽くなっている)

 体育会系の自分ではあるが、走るスピードではなく、歩くスピード、少しずつ少しずつ、が今の自分にはちょうどいい。勿論、一気に変化・成長する可能性は残しながらも、ウォーキングは、少しずつ少しずつ、でいいんだ、ということを毎日再確認させてくれる、貴重な大切な時間だ。
自分は、今、心理療法などを使ったセラピストで身をたてるために、今準備中である。
 その心理療法の師匠である、矢野惣一先生のセミナーで学んだことの一つ。ホメオスタシスに引っ掛からないように少しずつ自分を変えるコツ→「今の自分に無理なくカンタンにできることを続けること」。
 毎日のウォーキングは、そんな自分の求めていたもの、リズムにピッタリのなくてはならない一生の習慣である。

そもそもウォーキングをやるようになったこと自体、心理療法のセミナーで出会った大切な友人からもたらされたものだ。だから、この拙い文章を読んでくださった、あなたとの出会いも自分にとって、奇跡かもしれない。あなたに、心から感謝します。ありがとうございます!

 今日も少しずつすべてが良くなる!♪(^^)
 デハ~
(@^^)/~~~



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 おばんです。日々秋が深まり、だんだん寒くなってきていますが、みなさんは元気に過ごしていますか?
寒い季節は、人肌が恋しくなって寂しさをより強く感じるような気がするのは自分だけでしょうか?
 これは温泉に入ると暖かさだけじゃなく心地よさや一時の幸せを感じるというのに似ているような気がします。人の心というのは、どこまでも複雑で深淵な世界ではあるけれど、一方ではとても単純な部分も多く併せ持つのではないでしょうか。心にもある程度のパターンなりがあるということでもあります。そうでなければ、現代において心理学や心理療法がこれほど発展することはなかったでしょうしね。
 さらに心と身体は、密接につながっている。それぞれがそれぞれに影響し合う。

心に影響を与えるものには、他にも幾つもあるわけだが、自分をより幸せにするために、今熱心に取り組んでいる日課の一つに、環境の整備(整頓と言ってもいいが)がある。
それが昨日も触れた「断捨離」。

巷には、実に様々な成功法則やら願望達成プログラムがやらがあるわけだが、その多くはそれを実行し続けること自体が難しくて、法則なりを実践できた時点で成功だよ!というものも多いように思う。
決してそれらの全部を否定するわけではないが、まずは身の回りの目に見える物との対話(自分と今現在生きた関係じゃないものは徹底的に処分して、厳選したものだけ残していく作業。結果、さまざましがらみから自由になり、少しずつ自分を好きになる感覚を味わえる場合が多い)を通して、自分自身の本当の心に気づいていく方が先決だと思う。日常生活にも支障があるくらい自己愛が欠乏している人(セルフイメージがとても低い人)は、自分の心の底の寂しさや孤独感を物を所有したりすることで、埋め合わせようとすることが多いように思う。そういう自分の気持ちとしっかり向き合わないと物は際限なく増えていくと思う。また、余程意識して、歯止めを効かせない限り、結果、部屋の中は、自分でも収集のつかないほど、物に埋め尽くされカオスになって、心の中もぐちゃぐちゃになりがちなんじゃないかと思う。
 実際、自分がそうだったし。断捨離を毎日少しずつ、時に思いっきり実践することで、自分のことがだんだん見えてきたし、気持ちも穏やかになってきた。
自分の今の生きる上での大きな指針の一つは、今の自分に無理なくカンタンにできることを毎日続けること。大きな変化を起こそうとすると、脳の安定化志向(ホメオスタシス)に引っかかって、元の木阿弥に強制的に引き戻されてしまうし、第一大きな変化には大きな力も必要になる。
「断捨離」は、そういった意味でも無理なくカンタンにできることの一つなので、大いにお薦めです。詳しくは、「断捨離」という言葉の生みの親である、やましたひでこさんの著作に譲りたい。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
明日も素敵な日になりますように…クローバーそれではまた。
すがすがしい日ですね~にゃー

スガシカオさんが、確か最近発表した曲の中で、歌っていたことだったと思いますが、「明日」は「明るい日と書くから明日なんだ」(間違ってたら、ごめんなさい)というようなことをおっしゃっていたが、毎日自分も含めたすべての人が明日が来るのがワクワクするというような気持ちで夜眠りに就くことができたらいいなあと思います。

突拍子もないところから、書いてみました。ブログを書いてみようとは、思い立ったものの、どこからどう書いたらいいかわからないまま、あっという間に数日が経ってしまいました。いろいろ書きたいことはあるけれど、肩肘張らずにその都度思いついたことを書いていこうと思います。

唐突で、しかもちょっと重い話になりますが、自分は自分のことがずっと嫌いでした。…というか憎んでいて、酷い時は人間そのものが嫌いでした。かと言って、社会生活は一応普通に送ってはきました。でも、自分のことをいつも責め憎み続けたせいか、偏頭痛やら吐き気やらの様々な症状に殆ど毎日(…というか一日中…。今はそんなには酷くないです)その他に長い間悩んできた人間です。
そんな自分が、今は少しずつですが自分のことを好きになってもいいんだと思えたり、ひいてはすべての人が自分のことを心から好きでいられる社会にしたい、そうなったらどんなに素敵だろうなどと思えるようになってきたのは、心理療法にかかったり、自らすがるようにたくさんの本を読んだりして、少しずつ考え方と行動を変えた結果だと思います。詳しくは、割愛します。

それにしても、現代という時代は、個人的にはまだまだ生きにくい時代なんじゃなかろうかと思います。そう思ってる人も多いんじゃなかろうかとも思います。
自分自身が幸福じゃないと人を幸福にはできないと思っているので、毎日自分自身を癒やし、また今の自分に無理なくカンタンにできる行動をして、成長させながら、周りの人も幸せに、そして価値ある存在とその人自身自分が思わせられるようなそんな存在になりたいです。
 こうやって、書いていくと、自分は被害妄想が強い、ただの偽善者だ、と思われる可能性もありますが、正直に拙い文章で今自分が思っていることを書きました。ちょっと長くて脈絡ない感じになってしまいましたが、ひとまずこのへんで。
これを読んで下さって、ありがとうございます!あなたの幸せを、心から祈っています。
それではまたクローバー