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心の時間 〜スピリチュアルタイム〜

生まれてきた時間を知ることはできても、死んでゆく時間を知ることはできません。ひとつとして同じ一日、同じ時はありません。全てが当たり前でなければ、全てがありがたきこと。ありがとうございます。常に感謝の心を忘れず、かけがえのない一日を楽しく。時間はたからもの。

私のことについて自分のヒントとして書き残しておこう。



見切りが早い。

一回やっただけでもういいやってなる。

浅い。

あと何回かくらいは体験してみてもいいのかなとは思うけれど、そのやる気が出ないのでやらない。


人と会うのもそう。

初めて会う人とは一回きりでだいたいその人がどんな人なのか分かった気になって、次以降会おうとなかなか思えない。

本当は一回きりでその人のことなんて全部分かるはずないのだから、二回目以降会おうとしても良いはずなのに、それが面倒くさい。



好き嫌いがはっきりしているのだと思う。

良い悪いを見分けるのも早いのだと思う。

ファーストインプレッションでそれほど心が揺れないのに、わざわざそれに時間や体験をかける価値があると思えなくて、その先に進まない。一度で終わり。

でも、そうして一度はやってみるという体験を多く繰り返していると、もう次に試してみたいという対象がなくなって、もうやりたいこともなくなって、今本当につまらない。


やりたいことは一通りやってきた気がする。

死ぬ前にやり残したことがあるかと言われても、今は別にないと答えられる。

強いて言うなら、もう諦めかけているけど、

カッコいいタイプの男の人と付き合いたい。

それくらいだけど、もう自分が魅力的じゃないと思っているから、そういう人には不釣り合いだし、ダメだと思っている。

あと人間として劣っている。

なんかみんなが笑っているところで面白いって思えてないことが多いし、話も真面目過ぎてつまらない。

そもそも見切りが早くて一回やっただけで十分なやつが深い話などできる訳が無いだろう。

浅い応答、浅い会話しかできないのだ。

良いところは誕生日プレゼントなどはちゃんと用意するところだろうか。

でも、誕生日プレゼントなんてお金出して選ぶだけで良いから、ものすごく簡単だけどね。



難しいことが嫌い。複雑なことが嫌い。

やったことがないことは嫌い。

自分でも分かる、できることがいい。

挑戦するのは面倒くさい。

なぜそもそも挑戦しないといけないの?

自分の快適な範囲内で収まっていたいから、

コンフォートゾーンを抜けたくないから、

つまらないのかもしれない。

じゃあ難しいことや複雑なことに挑戦しないといけないのか?

嫌いなのに。やったことがないことはやりたくないのに。難しそうだし、できるかどうかも分からないのに。

面倒くさいことも嫌い。時間がかかるのも嫌い。

嫌いなことが多いな、おい。

こんなに嫌いなことが多いとそりゃあ生きててつまらないとか面白くないことの方が多いよなあ。


簡単なことが好き。すぐできることが好き。

複雑でないことが好き。

自分でも分かることが好き。

でも、そういうものって簡単にできちゃうから、

やり尽くしてしまうし、すぐ飽きる。

コンビニ弁当とか外食の方が面倒くさくないから、好きだけど、そういうものって味が決まりきっていって、すぐ飽きがち。

面倒くさいことは嫌い。何度も言うけど。

手間がかかることも嫌い。単純作業の方が好き。

簡単なことでも毎日できることってないかな?

毎日を楽しくできることないかな、自分に合った方法で。


カッコつけたがり。プライド高い。

人に聞くの嫌。人にペコペコなんて本当はしたくない。でも、聞かなきゃ仕事を進められない。そんな状況がストレス。コンビニのバイトはその点クリアしていて、良かった。



本当、社会不適合者だと思う。

楽ばかりしたいんだから。


ゲームもずっと好きで、ずっとしてきたけれど、

ここ最近は良いゲームないし、

しているゲームにも情熱を持てない。


安楽死したい。


一日何もすることなく終わる。

人生終わってる。






お久しぶり!アメブロ〜!


近々ゲームのホームページやブログを新しく開設しようと考えていて、やっぱりブログといったらアメブロは外せないよな、、、

と思い、帰ってきました


IDとパスワードをいまだに思い出せるの本当にすごいんよ


もう10年以上も前に始めたのに、今も変わらずその時々の記録が残っているのってなかなか感動モンですね



原神


今一番好きなゲームが原神というゲーム



2020年3月〜2023年3月までの

3年間の間にとても大切な人や好きな場所、好きなモノとの別れがあり、

もう自分には何の生きる希望もないから、どうにか死ねないかなどということをずっと考えながら、死ぬこともできずに生きながらえてきました

今でも楽に死ねるなら死んでもいいという気持ちは変わりません



ただでも、少し悟ったことがあって、

死ぬ際の苦しみや辛さのことを想像すると、

とてもではないが自殺するという選択はできないということ


好きなものも大切な人もなくなって、日常に希望も楽しみもなく、こんな日々が続くなら死んだほうがましだと思って、自殺する方法をいろいろ考えてみても、結局どの方法も苦しみを伴う


死ぬにも死の代償としてきっと辛い苦しさを味わうのなら、すぐにそれを実行することはできなかった


そうして、かろうじてニートしながら生きながらえてきたわけなんだけど、働いて貯めていたお金も底をつきかけ、同居している家族にも迷惑をかけられないし、使えるお金すら無くなったら本当に何もできなくなるとどうしようもない状態になる一歩手前でようやく動き出せた。

ある程度ギリギリまで何もしないつもりでいたけど、本当にギリギリまで何もしなかったな。

食事は一日一回、シャワー3日浴びないとかいう日も普通だったし、ひげも一ヶ月以上剃らないとかいうダラシなさ、怠惰の極地だった。


まあでも今は前と同じとはいかないけど、

日常に楽しみを見つけて、好きな服を買ったり、母といろいろ出かけたり、挑戦してみたいことがあったり、かなり太ったり、状態がいい感じに回復した。



今の自分の信条は


どうせ死ぬことができないのなら、

生き続けて、

少しずつでも人生を良くしていく


というようものへと変わりました


もうなんか一回本気で死んでもいいというところまでいったので、失敗することがそんなに怖くないんですよね

今でも死んでもいいという気持ちは変わらずに残り続けていて、その気持ちがあるから今自分が挑戦したいと思っていることがたとえ失敗したとしても、多分別にそんなに痛いと思わない


失うものが何もないからね


代わりに、もしも挑戦したいと思っていることがうまく成功したら、諦めていた理想や希望ももう一度手に入れることもできるかもしれない



今の自分はそんな感じ




アメブロ、ありがとう

こうして記録する場を残してくれて


過去の自分、ありがとう

Hello World

時がとまったままの私のこのブログの世界から世界へ、

こんにちは。



実は一年前くらいにも投稿していたんだね。

もうすっかり忘れていたな。

そうそう、あの時は鍵を無くしたことがショックでショックで塞ぎこんでたなあ。

お金もないという想いもとても強かった。

あれから一年くらいたった今、

そのことを振り返ると

もうその過去はその時と同じじゃないのだと感じる。

辛い経験ではあったけど、

だから学べたことがあって、

もう一回同じようなパターンで試練が来ても、

今度はもっとうまくやれる自信があるよ。

ありがとう。


思えば、このブログは僕の時を綴る備忘録であり、

それは今、形を変えて今の自分に繋がり続けている。



Hello World

の言葉の意味は、

プログラミングをはじめて学んだときに

PCの画面に表示させた言葉。

PCと私が繋がったように感じた瞬間だった。



忘れていても、ちゃんと残ってるんだよね。

このネットの海にちゃんと残っていた。

僕はここにいるよ。

あれから楽しく毎日やっている。

ありがとう。



今度はまたここじゃない違う世界で

Hello World!
東京で失敗した原因、
今回は3つめ。

3つめは本当に単純。
それは知らなかったから!
自分のことを。

何が言いたいかっていうと、
人にはどうしたって、向き不向き、好き嫌いがある訳ですよ。

私はゲームが好きだから、一日ゲームをしていても楽しいし続けられる。
でも、ゲームが嫌いな人が一日ずっとゲームだけやらされたら?
一日続けられる?
できませんよね。できても、ものすごく苦痛に感じると思う。

あと、私は記憶するのが得意で、人の誕生日とかその日に何があったのか覚えていることができる。多分他の人よりこの能力は優れていて、暗記系の勉強もそのおかげで得意だったり。
でも、私は運転が不得意。教習所の最後の試験で、卒業したらうんと練習しろと注意されるほどのお墨付き。
自分でもその自覚はあって、長く長く人より多く運転に携わってきたから、今ではそれなりに事故を起こすことなく安全に仕事として運転ができるようにはなったけど、他の人よりできないことであったのはたしか。


そういうような自分のこと。
知っているようで実は知らなかったりすんだよね。
それがこの東京タクシー編では、自分に合わない、好きでない、得意ではないことを非常にフォーカスされたのだ。

今だから、自分は都会よりも自然よりの田舎の方が好きとはっきり言える。
東京よりも小田原の方がずっとずっと良い。
都内の運転は人も多いし、自分勝手な運転するのも多いし、人を乗せて運転すると余計気をつかうし、営業の数字も追いかけないといけない。
常にストレスフルで、気が休まらない。
一日の拘束時間も長くて、勤務が不規則だから、生活のリズムが乱れやすい。
おまけに借金なんかがくっついてくるから、それはまあ精神おかしくなるわな。

だから、やってみないと分からなかったから、今となっては良い思い出。
それによって自分がどういうことが好きで得意で、何が嫌いで不得意で、どんなことに価値を置いているかって自分のことがよく分かったから。

3つめの原因は、
自分のことをよく知らなかったからという理由ではある。
ただ、運転の仕事はそんなに好きじゃないってタクシードライバーになる前から分かってたことだし、失敗の予兆はあった訳なんだよな。
そこをいろいろと自分を納得させて進んだから、やっぱりダメだーってことにもなった。

だから、自分の心に耳を傾けると同時に、自分がどんな人間なのかをよく知ることって、とても、とても、大事だね。

まあこれは当たって砕けろという感じでもあるし、どんどんチャレンジして、そこから得られるのものでもあるから、失敗歓迎ともいえるのか。笑

その他にも、東京編がダメになったのっていろいろな要因がある。
失敗の原因ってこうして振り返ると一つじゃないし、そもそも東京での経験はダメになるべくしてダメになったんだなーって。笑

ちょうど厄年だったこともあるのかな。

本当にさ、タクシードライバーをもう続けられないって心に限界が来て、家族からお金を貸してもらって、ようやくタクシー辞められるって状況になった時、これで良かったって思えた。ホッとした。
タクシーでバリバリ稼げるようになるまで辞めれない。借金があるから辞められない。そんな風に自分を追い詰めて、マジメにマジメに頑張って。でも、マジメに頑張っても、合わないものはどうしたって合わないのに、無理やりそこに自分を合わせようとして、とても辛かった。
他の人が稼いでいるのに、自分だけ稼げない。仕事もできなくて、辛くて苦しくて自分のことが嫌いになった。
相当落ち込んだから、しばらくは元気が出なくてさ、いろんなことを諦めた。

でも、タクシー辞めてからしばらく経ったある日、昔子供の頃よく連れて行ってもらったサティだったところで、ベンチに座ってぼーっとしながら、買い物に来た人達を眺めていた。いろんな人がいて、それぞれの想いで買い物に来ていた。こんな風にぼーっと過ごせるの、ゆったりした時間ってタクシーの時にはなかった。目を瞑るとなんかそんな自分のことも大丈夫だよ、愛しているって認めてあげられた。そんな自分がいた。


自分が一番自分が好き。
自分が一番自分を愛すること。

たとえどんな自分でもいいんだよ。
強くなれなくて、弱い自分でもそれでいい。
どんな自分でもそのままの自分で素敵だよ。

苦しかったね。よく頑張ったね。
ありがとう。

そんな自分と繋がれて、
凍りついて動けなくなっていた自分の心も暖められた。

恥ずかしい気はちょっとだけするけど、
それ以来、自分のこと愛してる、好きだよって心から言えるんだ。