当たり前の感覚ほど異常なものは無いんじゃないかって思います。
当たり前と思った瞬間に改善の余地が消えていく。
例えば、電気
今はスイッチ入れれば明るくなるし、ボタンを押せばエアコンがつく。
今ブログを書いているパソコンだって電機で動いているし、
世界を動かしているありとあらゆる部分に電気の力が寄与している。
もはや無い生活は考えられない。
でも、電気が無ければ絶対に生きていけないかといわれると、
その答えはYESじゃない。
あまりにも生活に密着しているため、電気がなくなることは流石に許容できないが、
何がなんでも、現在と同じだけの供給量でなければいけないことは無いだろう。
望むだけの電力を得るためには、見合うリスクを甘受しなければならないのは必然。
このたびの原発問題で投げかけられた電力生産にかかるリスクとコストを、
何処まで許容できるのかという問い。
日本はどのような決断をするのだろうか。
ちょっと時間が経ちましたが、先日の日本代表対Jリーグ選抜。
盛り上がってましたね!
ゴールを決めてのカズダンス。さすが、キング。
衰える肉体でプレーを続けると言うことは当たり前とは程遠い感覚なのでは。
プレーできることが当たり前と思ったら、きっとトレーニングもそこそこに切り上げる。
そうすると体の衰えは速度を増し、やがて動かなくなる。
電気やサッカーだけではなく、きっと何でも一緒。
当たり前と思った瞬間に終わるのだ。