どもどもパン長です。











ミュージシャンはなぜ駄目といわれるのか。
なぜオススメされないのか・・・





ミュージシャン、役者、芸人・・・

僕が思うに
すべてマレビト的な位置にいると思うんですよ。



マレビト(稀人・客人)ってのは折口信夫
の提唱した概念なんですけど

ついさっきまで隣で一緒にご飯食べていた人が

舞台の上で突然「神のメタファー」として顕現するわけです。

 

 

人は神を畏れるものですから

そうそう近づきたくない感じになっちゃうんじゃないでしょうか。

 

 

太古の人間は自分たちのコントロール下に置けないものに畏敬の念を抱いたわけです。



自然からたえず貰える実りに敬意を持ったし

森の獣をカミとしてみていたし

大雨や日照りや嵐に畏怖したし



(余談ですが、アラシ(嵐)はカミの事を指すコトバなんですよ。

ヤマ(山)から吹きおろす強風をオロシと呼んで、カミが降りてきていると認識していました。

嵐の字を見てもそれが分かりますね~)



 

コントロールできないことにカミを見出す。

これの最たるものが死と再生です。





死に行き、また生まれいずる

 

 

人間の生死は誰にもコントロールできないからこそ

太古からその領域をカミとしてあがめていたそうです。





生と死の境目

サカイメ




サ+K音



の組み合わせに神的な領域

こちらとあちらの交じり合う超自然的領域だと縄文人たちは考えていたわけです。



酒(サケ)

岬(みサキ)

境(サカい)

裂け目(サケめ)

 

この話がどこに着地するかはもうお分かりかと思います。

身体にあるサケメってどこか分かりますよね。

女性器のことです。

 

 

古来から女性器は神としてあがめられています。

もちろん男根もそうです。

いまでもおみこしになってたりしますよね。
生殖器崇拝(ウィキペディア)


かなまら
かなまら祭り

ひめいし
姫石

 



性は人が生まれる起点です。

性の感覚は通常の身体感覚とは違います。

性的な快楽が最高潮に達した状態はカミと一体化していると考えられるわけで

そのドラスティックな変化は

水と穀物が醸されてアルコールに変化する様と意味的に一致します

サケは聖なる水として魔除けや結界に使われたりします。

昔はサケを醸すための炊いた米を巫女が噛んでから水とあわせ醸しました。 

カムことで変革する様をカモすと呼んだんですね。







話がそれましたが

ミュージシャンたちマレビトは境い目の住人です。

ヒトとカミの間に位置する存在なので

やっかいなんでしょうね。



 

7歳まではカミのうち。

人とカミの境い目にある年齢は7歳まで。

中医学的に考えても7年という数字は納得いきます。





きっとミュージシャンて7歳以下の子供が持っている

無邪気さに通じる理不尽さを纏っている存在なんじゃないでしょうか。

だから厄介者扱いされちゃう。

そんな感じで僕は捉えてます♪

 



 

みなさんどう思われますか??