現在、日本では12年連続で自殺者が3万人を超えています。統計によると、20、30、40、50代の自殺の第一原因は「経済・生活問題」のようです。
約3年前に北九州市で52歳の男性が「おにぎりが食べたい」という日記を残し、自宅で亡くなっていたという事件がありました。
この男性は病気の為働く事が出来ず、生活保護を頼りに暮らしていました。しかし、福祉事務所の「勧め」で生活保護の受給の辞退をしたそうです。
この男性の日記によれば働けないのに働けと言われたそうです。
この行政の対応には疑問を抱かざるを得ません。
例え故意ではないとしても、結果的に行政は男性を死に追いやってしまいました。
日本国憲法第25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法はきちんと行政によって守られていると言えるでしょうか?
このようなケースは氷山の一角に過ぎないと思います。
日本はGDPで世界3位の経済大国であるにも関わらず、経済的事情により貴重な命を無くしてしまう人が後を絶ちません。
これは何故なのでしょうか?
これには複合的な要因があり、一概には言えないでしょうが、
一つには「繋がり」の希薄化が原因ではないかと思います。
経済規模の拡大、グローバル化により自らの仕事(行為)が隣人、またはコミュニティのメンバーに多大に影響を及ぼしている事が認識し辛くなりました。
例として適切かどうかはわかりませんが、例えばお菓子工場でチョコを生産したとします。それは遠くのスーパー等へ出荷され、
スイーツ好きの女子や子供達が買っていきます。
しかし、生産者は具体的に誰が買ったかわかりませんし、消費者は具体的に誰がそれを作ったのかわかりません。
これは市場を通して間接的には繋がっていますが、生産者、消費者は「繋がっている」と認識し辛いです。
昔の経済規模が小さい村社会であれば、生産者、消費者の顔が
判り、消費者は信頼ができ、また生産者は消費者の喜ぶ姿を見ることができ、自らの仕事の充実感が大いにあったと思います。
「繋がり」を認識する事は信頼に繋がり、充実に繋がる。
これは幸福の道ではないかと思います。
仏教では「因縁生起」という世界の一切のものは直接にも間接にもなんらかの形で必ず繋がっているという教えがあります。
またアメリカの社会心理学者は「好意の返報性」という法則を研究結果を通じて提唱しました。
これは私がその人を好きなれば、その人は私を好いてくれるというものです。
これらを応用すると自らが善意を施すと、相手にも善意を施されるのではないかと思います。もちろん、直接的とは限らず、善意は間接的に資本の運動の様に人の間をめぐりめぐって、いずれは自分の元に戻ってくる。
このような考え方を根拠に私は善意を施す活動をしていきたいと思います。
具体的には経済的事情により自殺を考える事を余儀なくされている人、今、そして明日生きる為に食べるお金が無く、困窮している人にお金を渡す事が出来れば良いなと思います。
その方法は困窮者の方にメールで銀行口座の番号を記載して頂きます。そして私がその方の銀行口座にお金を振り込むという
事を考えています。
しかし残念ながら私にはその充分な「お金」がありません。
私は未だ学生であり、家庭は決して裕福ではありません。
そこでこのサイトを訪れ、これを読んでくれているあなたの善意による募金を基にこの活動を行っていきたいと思っています。
正直なところ、この方法では相手方が本当に困窮しており、お金を本当に必要としているかは確認することが困難です。したがって相手を「信頼」するしかありません。
また、私が本当にその活動をするかも、私を信用して頂くしかありません。
あらかじめ断っておきますが、私は聖人、君子でもなんでもありません。ポルシェに乗りたいし、海外旅行もしたいし、彼女も欲しい
。献血は注射が嫌いだから出来ない。と言ったただの俗人です。
しかしこの世界に存在する尊い、そして貴重な命を救おうとする意思だけは持っています。
本来ならば所得の公正な分配、必要な人に必要なお金、サービスを提供するという事は、税金を徴収している国が行うべき事なのです。しかし、残念ながらその公正な分配は行われず、所得格差は拡大し、生活困窮者、自殺者は増える一方です。
国がやらないなら誰がやるんだ?私にはロクな才能も能力も無いがこれなら出来るのではないか?と思いこのサイトを開設しました。
まだ募金用の銀行口座、募集用のメールアドレス等、必要な設備は整ってはおりませんが、一刻も早くこの考えを公表したいと思いこの記事を書きました。
あなたの支援、活動に関するアドバイスをお待ちしております。
