5月24日のDEPT.4で聴いたalanさんの歌に感動した。ひと月ほど経つけど「良かったなあ」と時々思い出す。
過去に2回ほど彼女の歌を聴いているけど、歌のふくらみというか伸びやかな印象は少なく感じた。でも切々と言葉を紡いでいる歌心、心が潰されまいと耐え、絞るように心の中から贈りだす声に僕の魂は揺さぶられた。
「私は歌を歌う人、だから歌う」
当たり前の、単純な言葉。だが込められた思いは深い。
故郷の震災は耐え難い悲しみと苦しみをalanの世界に与えたはず。
華やかなステージで歌うのは不謹慎と考えたかもしれない。あるいは罪深いと思ったか。
過去には戻せないし、今いる世界、現実から逃れはできない。
目の前に用意されるステージを憎く思えたであろう。
日本で無事でいられることが辛かったはずだ。
力を貸すために帰ってしまっても当然だ。
でも、alanは歌ったんだ。
僕らの前で。
自分の夢の為や、誰かのためでもない。
ただ、自分は歌わなくてはいけない宿命を感じて。
宿命を信じきっていた瞳は澄んでいて、美しかった。
不幸を目の当たりにして、何も抗えず、事実を受け止めるのみ。
人は自分の無力さを思い知った時、その無力さに罪悪感を持ってしまう。
自分に何かできたはずだ。今からでも遅くないと考え、自分を苦しめてしまう。
alanは人としての無力という罪なき罪を歌で償ったんだ。
歌う人が頑張る、一生懸命になるというのは、自分の気持ちを込めることではない。
ただ静かに、遠く及ばぬ人へ思いを馳せ、その人の悲しみや苦しみを心に呼びこむ事ではないか。
人の魂と、自分の魂が歌を通して一つになる。
一つになった心で歌声を手向ければ、それは癒しに通じ、罪を感じた者への償いになるであろう。
歌声は故郷へは届いていないかもしれないが、でも天国へは届いたはずだ。