小さい頃からの「声」への強い関心(とりわけ素晴らしい歌声に対して)や、
自身が素晴らしいと感じる「音楽」の調和の雰囲気に浸っている時、
私は非日常の、幸せでしかない世界に旅していたのですが
それらの感覚があまりに強烈で、リアルであったが為に
自分の感性至上主義
でずっと生きてきたのだなぁと気づきました。
そんな風に強く憧れる世界があった私にとって、自分が「歌えていない」と過去に感じたことは、今思うとただの事実の明らめでしかなく
(色々な感情と思考をくっつけてこじらせてしまいましたが)
他の方に「褒め言葉」を頂いたとしても、それによって
私自身の歌がいきなり上手くなる訳ではない=現実は変わっていない
ので、様々な言葉を頂いても、ものすごくシビア?に受け取っていたようです
そのように自分の感性が人生をリードしていたので、自分の「歌」が自分が満足するレベルに達しないと猛烈に嫌だったですし、
その感覚に従うことで、自分の出来ることの様々なレベルを上げていこう❗️と考えることができ、
世に存在している、すごいと感じたものに、ひたすら自分を近づけようとする過程で
「歌やそれにまつわることが仕事になる」
「歌の分野で人に意見を求められる」
ということが現実になったのだと思っています。(私の中での「思考は現実化」です)
そして、それは私にとって楽しいことだったのです。
様々なスペシャリストの方々とのご縁を頂きながら、自分で自分を育てていった感じでしょうか(この視点は観察者の視点ですね)
音楽業界でお仕事させて頂くようになり、素晴らしい演奏をされた方に、ディレクターさんが
「本当に素晴らしかったです」
と興奮気味に語っていらして、それに対しての受け答えを聞いて気づいたのですが、その方はかなりストイックで、裏表もなく、シャイな部分もある方なのだと思うのですが
「あまりに言ってもらえるので、もう褒め言葉は右から左なんです(でも少し照れてるような?)
内輪の人なので本心を言いますけれど。
お客さんに言ってもらえた時は、すぐに『ありがとうございます』と答えますよ」
というように仰っており(正確な言い回しは忘れましたが)
この方は自分の理想を目指してただ演奏しているだけで、
賞賛を求めていないのだということ(むしろ、お客さんにいいと感じてもらうことが当たり前だと感じている)
それ位、自分のできる事に自信を持っている
(自身の演奏を磨いてきた自負と、実際に認められてきた実績がある)
一言でいうと、
「その人の演奏がすごい❗️」
に集約されるのですが、
そのレベルに自分をキープしておくことで、この方はたくさんの現場から指名でお仕事を取り続け、それが途切れないという現実になっているのだろうと感じました。
そして、そういう風に果敢にチャレンジしていけるようになるには、
セキュアベース=安全基地を持っている
ことが大切だと思います。
前回の記事に、高校を卒業した私が、
「自分に何が出来るか知りたい」
と思ったことや、
「働けばお金は稼げるから、好きなことをしごとにできないかな?」
と考えていたことを書きましたが、このように、自分の可能性を信じられる考えを持てたのは、家・家族という、
例え私がどうであっても受け止めてもらえる場所がある
という安心感を感じていたのと
あなたの感性を大切に生きていきなさい
という母からのメッセージを、数多く受け取っていたからだと思います。
本当、自作自演で苦しんでいただけで
いつも、そこには愛があったと言いましょうか
小さい子が公園で遊んでいて、お母さんが見ていてくれていると思うから、少し遠くに遊びに行けるけれど、
「お母さんがいなくなってしまうかも??」
という不安を感じていたら、お母さんの元を離れられないだろうという話を聞いたことがあります。
様々なご家庭に、様々なご事情はあると思いますが、これまで生きてこられているということは、やはり愛されていたから、だと思うのです。
人生のどのタイミングでそれを受け入れるか?
も、人それぞれですけれど、たくさんの人の心の中(外側を探すのでなく。結局感じるのは自分の心なので、大切なのは内側だと感じます)
に、セキュアベースが存在していったらいいなぁ、、、
それをする為に、どうしたら良いのかなぁと考える今日この頃です。