最近、気になっている国がある。


シンガポール。


今日、NHKの番組で特集が組まれていた。


シンガポールには石油や天然ガスといった天然資源がない。
ましてや、水さえも隣国のマレーシアからパイプで引き込んでいる。


そのシンガポールは現在、一人当たりのGDPが日本を追い抜き、アジアで一番裕福な国になった。

今、豊富な資金力を武器に世界中から優秀な人材を積極的に集めているという。


優秀な人材と才能には、文句のない労働環境と家族を含む生活環境、そして多額の報酬が保証される。
但し、その世界は完全な実力主義。
結果が残せなかったらシンガポールに居場所はない。


建設現場や富裕層向けの家政婦などにも外国人労働者が集まる。

ただ、ここに集まるのはバングラディッシュやフィリピンなどの発展途上国からの労働者。


政府公認の人材派遣会社に登録した建設現場の労働者には2年間限定の労働ビザが配布される。
女性には定期的な妊娠検査が義務付けられる。


外国人労働者問題を未然に防ぐため、政府が行っている徹底した政策。


しかし、それに対して不満を唱える人は少ない。

仮に仕事に就けたとするならば、本国で稼ぐ10年分の給与を1年で稼ぐこともできる。


しかし、そのシンガポールでさえも世界的な金融危機の影響を免れることができず、今、建設計画が頓挫するケースも少なくない。

そのため、職にありつくことができずに本国へ戻らざるを得ない外国人労働者も増えてきた。


当然、これに対する政策批判も生じる。


シンガポールを率いる現在の首相(シンガポール"建国の父"リー・クアンユーの息子)はそれに対して、外国人労働者は「バッファー」だと言い切る。


景気のいい時には大量の労働者が必要になる。対して、不況の時には必要な労働者は少なくなる。
それを調整しているのが外国人労働者である。

調整が必要なときに外国人労働者を切ることになるのは、やむを得ない。


私は国民の信任を得て首相になっている。

まず国民のことを第一に考えるのは当たり前だ、と。


興味深い番組だった。


思うに、一国のリーダーに求められるのは、キャラクターでもカリスマでもない。

一貫した意思ではないかと。


何かを成し遂げるためには批判はつきもの。

批判の対応に時間を割くよりもやらなければいけないことは沢山ある。


シンガポールの政治体制は一概に良いものだとは言えないようだが、ぼやぼやしている間に、そう遠くないアジアの国が次々と手を打っている。

報告が遅れてしまいましたが(と言っても、どれくらいのお友達がこのブログを見てくれているか知りませんが・・・)、今月から実家(埼玉のド田舎)通いを始めています。。。

理由は色々とあるのですが、別の機会に・・・。

実家から都内へ通うという行為は、4年ぶりです。

その間どっぷりと東京暮らしに浸かってしまったので、果たして実家通いなんてできるのかと、かなり心配していたのですが意外と大丈夫な気がしてきました。(まだ4日目ですけど。)

これまで、ギリギリまで仕事をして帰って寝て、また会社に行くという生活を繰り返していましたが、それはそれでいいのだけれど、どことなく余裕がないな、、、と常々感じていました。

そのペース自体にはあまり変わりはないのですが、電車に乗っている時間(大体、3時間。)というのが、とてもいい感じです。

大好きな読書もできるし、色々と物事を考える時間もあります。

最近、会社の組織体制が変わり管理体制がしっかりしてきたことから、これまで以上に仕事(どちらかというと作業)する時間が増えてしまい、かなりの引きこもり気味になっていました。

そんなこんなで、ここ最近はコミュニケーション欲が出ています。

友人はもちろん、同年代、同業界で頑張っている人達とコミュニケーションを取ることで情報交換のみならず、色々な意味で感化されたいなと思っています。

先日、もう3,4年来の付き合いになる経営者さんとご飯を食べました。

彼は僕が入社1年目の時期に学生インターンとして会社に入ってきた後、そのまま学生時代に起業をして、今では、業界で有名な社長さんです。

時々、連絡を取り合ってはご飯を食べながら色々なお話をします。

で、先日、ブルーマンと仕事をしたとのことで公演にご招待していただきました。とてもおもしろかったです。

身近で、あまり変わらない年の友人がそういう風に頑張っていることはとても刺激なります。

実家にひきこもらずに、そういう人たちとの出会いのある場へと繰り出す事が億劫にならないようにアグレッシブでいたいですね。

この前、喫茶店のカウンターで食事をしていた時のこと。


そこは2階の窓際だったので、ちょうど目の高さに信号があったわけです。


しばらくすると、その信号に向かってオレンジ色の作業服を着た3人組の作業員が作業車で近づいてきまして、はしごを使って信号の拭き掃除と電球の交換を始め出したんですね。


言われると何でもないことなんですけれど、、、

信号って電球なんですよね。。。


そのままだといずれ電球が切れて点灯しなくなるんですよね。。。


すごく、すごく、"超"地味な仕事だと思うんです。


でも、電球が切れて信号として機能しなくなった途端に、道路はパニックになりますよね。


信号って、当たり前のようにいつも赤と青と黄色を繰り返してますけど、それを維持させている人達がいるんだなって、、、


当たり前を維持するのって大変です。



今、社内で話題になっているCMです。

ANA、読売新聞、PLATINUMの共同CMらしいです。

いいCMですね。

自分は常にどこかで人に支えられているということを忘れてはいけません。

3月24日をもって26歳になりました。

お祝いしてくれた皆さん、お祝いメールをくれた皆さん、改めてありがとう。
誕生日が特別な日なんだと実感できました。
まだな方、引き続きお祝い受付中なので、遠慮なく祝って下さい。

25歳は悔いの残る一年でした。
自分はとことん怠惰な生き物だと痛感した年でした。
「まだできるはず、まだいけるはず」と思いながら甘えてしまう自分との戦いでした。

そうなってしまった原因に、明確な目標なりベンチマークを設けていなかったことがあったかなと考えています。
半ば確信的に、あえてそうしてみたのだけれど、やっぱりよくない。(気付くの遅い。。。!?)

目の前の事を精一杯こなすことも大事だけれど、どこかで自分の立ち位置を認識する機会を設けることが必要なんだなと。
そして、それを認識できる環境に身を置く、縛りをつける、その縛りの中でできることを精一杯こなす、そうすると自然と結果が伴うようになる、そうなれば理想ですね。
(同じようなことを誰かが言ってたな。。。。)

年が明けてから26歳を迎えるまでの間、自分の「これから」を意識して考えてきました。
何となくだけど、やりたいこと、目指したいことがまた少しイメージできたかなと実感しています。

その中で、26歳は「充実と結果」が伴う一年になればいいなと思います。

奇しくもそれが実現できそうな環境になりつつあるので、ハードルを飛び越えないといけないことも多々あるとは思いますが、次の誕生日を迎えた時に悔いのない1年だったと振り返られるように頑張ります。

最近、オカネに興味があります。


って、書くと誤解を招くか、、、

きっかけは↓の本を読んでから。


「日経新聞を死ぬまで読んでも解らない金の値段の裏のウラ」
- 鬼塚 英昭


かなりキャッチーなタイトルになっていますが、ここ最近の金(金属)の価格の上昇について、様々な文献から作者の推測を交えて作者独自の推論が展開されています。


要は、金(金属)の価格をコントロールしている一部のグループがいて、そのコントロールにより世界の経済システムが支配されているという話。


所詮、アメリカもブッシュもそのグループに支配されているに過ぎない。
ましてや中央銀行の金(金属)保有量がほとんどない日本なんて相手にもされていない、らしい。。。


戦争もバブル崩壊も、金(金属)とそれをコントロールするグループによって引き起こされているんだよ、って。

(ちなみにこの本を薦めるために書いているのでありません。)


僕には、この本に書いてあることが正しいかどうか判断できる経験も知識もまだまだないのですが、少なからず今の資本主義経済システムがこのまま続くとは何となく思っていないです。

近いうちに今のシステムを本格的に見直さないといけない時期がやってくるのではないかと考えています。
(もしかするともう来ているかもしれない。環境破壊も進んでいるし、ドルの崩壊がやたらとあおられているし。ドル崩壊のあおりはどうも胡散臭いけど。。。。)


そうなると、今の資本主義経済の要であるオカネについて考え直す必要がある。


じゃあどうすればいいのって、調べてて行き当ったのが、シルビオ・ゲゼルというドイツの経済学者。


現在の資本主義経済を構成するオカネが引き起こす様々な問題の原因は、オカネが利子を生み出している点にある。


利子とその利子を確保するための経済成長が問題を引き起こしている。


なので、オカネというのは、本来、老化しなければいけないものだ、というのがゲゼルの主張。

(ざっくり調べただけなので、もしかすると誤っているかもしれません。。。)


今の僕たちは成長が生んだモノの上に立っている。


成長と老化が相反するものだとするのであれば、この問題を解決するのは中々大変だけれど、ちょっと深く考えてみる価値がありそうじゃないですか?

僕は浅田次郎という作家が大好きなのですが、彼の小説に「中原の虹」というものがあります。


最近、その小説の最後を締めくくる第4巻が出て、書店で見つけた瞬間に購入してしまいました。


中国の清王朝が崩壊し中華民国が創設される時代の話なのですが、ここで出てくるくだりに印象的なものがあります。


「政治とは、すべての欲という欲を捨て、私なるものの権利という権利をすべて捨て去ることである。それを体現する者、民の平安のみをわが勲とする者が、すなわち政治家である」


民主主義で一番力をもっているものは何だと思いますか?


僕は選挙だと思います。


では、今の日本で、その選挙をコントロールする力を一番もっているのは何だと思いますか?


僕はメディアだと思います。


民主党の小沢が何をしようと、大連立がどうのこうのとか、ナベツネだ、ナカソネだ、なんてどうでもいいんです。

どうでもいいと言うと語弊があるかもしれないけれど、そんなことよりももっと本質を考えるべきです。

メディアがけしかけるから問題が表面にしかいかない。


結局、小沢はやはり自民党とどっぷり繋がっているんでしょう。。。
あえて民主党との歩調を乱して、混乱をさせる。
大連立なんて、国民が絶対に望まないであろうNGワードを民主党の代表自身が体現しようとする。それをメディアが、国民に垂れ流す。
で、次の衆議院選挙では自民党の圧勝。
その責任をとって小沢は正式に民主党代表を辞任。自民党に復党する。次のリーダーが中々見出せない民主党は回復するのに当面の時間がかかる。自民党の一党支配がまた続く。

と、若造な僕は勝手に想像しています。。。


僕はいつかこの国でクーデターが起こっても不思議じゃないと最近、考えています。

クーデターって言うと、軍事クーデターを想像してしまうけれど、そうではない形もあるでしょう。


最近、大卒の官僚への志望者が減っているみたいですね。
僕は東大出身ではないけれど、優秀な人材が民間に流れ過ぎてしまうのは淋しいなと思います。


このままいくと、この国は気づいたときには手遅れになってしまうかもしれない。
今、問題となっていることは、慢性的なものが多いように思えます。
10年後、20年後、将来の子孫にとって大きな問題になるようなこと。


今の僕達にできることって何なんですかね?

脳内メーカーって知っていますか?


フォームに名前を入力して「の脳内」ってボタンをクリックすると自分の脳の中がいろいろな文字で表現されます。


6月16日に公開されていたようなので知っている人は知っているみたいですが。。。


とりあえずやってみれば分かります。

http://maker.usoko.net/nounai/



結果↓





脳内メーカー

迷いだらけ・・・・。


でもいいんです。


20代は色々な価値観に触れて、迷って、吸収できるものはどんどん吸収して、30になる前に何らかの答えが見つかればいいと思っているから。


それにしても、脳の中が1文字で埋められているのはどうなんだろう。

「POST OFFICE」という本の中に、仲隆介が書いた「働く環境のデザイン」というコラムで哲学者の今村仁司氏の時間に関する論考が紹介されていた。


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われわれが現在慣れ親しんでいる時間感覚は、近代になって生まれてきたものである。


かつては、「円環時間」というものが人々の働き方のリズムを作っていた。


それが近代化の過程で「円環時間」から「直線時間」に推移する。


直線上を先に進むことに価値が移り、「急ぐ」と言う概念が生まれ、スピードが価値をもつようになる。


すると直線の先、つまり未来に関心が湧き、新しいものは古いものより価値をもつ。
その結果、未来を予測したり、先を企てたりすることに価値が生まれ、効果追求型、未来志向、企画型の価値が形成されるに至る。


そして、効果追求型の働き方に違和感をもつ人が多いのは、長い間「円環時間」に慣れ親しんできたDNAが拒否反応を示しているからかもしれない。

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僕は直線時間も円環時間も否定しない。


少なからず資本主義経済の上では時間を直線で捉える事も重要だと思うから。
(ただ、「急ぐ」と「焦る」とは違うはず。まれにこれを履き違えそうになるので気をつけないと。。。)


大事なのは、2つの時間の捉え方があって、人それぞれに合った時間感覚があること。


今はどちらかというと、時間だけでなくものごとを「直線」という枠にはめようという傾向が強すぎる気がするけれど、ものごとを「直線」だけでなく改めて「円」で捉えてみるとまた違ったものが見えてくるんじゃないかな。



そしてそれはこれからの世の中に少なからず大事なことになってくるはずだ。







アメリカと同じくこの国は資本主義経済というものが成り立っている。


僕は専門家ではないし、経済についての勉強はまだあまりしたことがないけど、資本主義経済というのは、オカネ(貨幣)を媒介にしてモノがやり取りされる世の中だと思う。


主役はオカネ(貨幣)だ。


オカネを持っているヒトはいいモノを手に入れることができる。

ヒトはいいモノを求めるから、もっといいモノ、もっともっといいモノが生み出されて、世の中は物凄いスピードで発展してきた。


そしてこれからもまだ発展していくんだろうけど、それ以上に気づかない内に色々なところで弊害も生まれている。


もしかしたら、気づいているのに気づいていないふりをしているのかもしれない。


だからそろそろね、今まで生み出してきたものを見直して、そのスピードを緩めてもいいんじゃないかって。


原点に立ち戻るにはいろいろなモノを得すぎてしまったけど、もしもまたそんな世の中が創れれば素晴らしい。


ただ、相手を変えるにはまず相手を知らないといけない。

もう少しこの資本主義って土俵の上で勝負してみようと思う。


ずっと一つの区切りと考えていた25になるのを目前にしてふとそんなことを考えた。