ウソもホントになるときがある。


好き嫌いなんていちばんホント以外なさそぅだけど



嫌いって口に出した瞬間にそれは

ホントじゃなきゃいけないこと

になって
自分の中でも高められていく。
好きも一緒。



誰かに伝えるときは簡単に覆して
『考えの浅い人間』
だと思われることを回避するために情報伝達、殊自身の考察や思想については確実で固定的な観念及び正確で合理的な私情の公開を心がける。

つまり、口に出したら最後。ウソもホントに変わらなきゃ人格を疑われるんだよね。


てことは。
簡単に理解できるはずのない他人について、知る気もないの知ったよぅに嫌いなんて言ぅものじゃないんじゃないかなぁー。。。

逆に(恋愛的視点をあえて除く)好きは、害なく、むしろ「許容体勢の主張」だから主張自体に問題が生じにくい。あるとすれば、あからさまに主張者本人に許容体勢がなく、尚且日々の行動に矛盾が生じやすい人間との認識が高い場合くらいかなー。


だから好きは
ウソであってもホントになるなら主張者本人にとっても許容範囲の拡張に繋がり、人生において比較的善い傾向


嫌いは逆に
ウソなら、尚更本人の株を下げた上に許容範囲を自ら狭小においやる





てことは。
ホントに嫌いでも口に出さなきゃ自己解決もありだし、株も自ら下げることはない。

ホントに好きじゃなくても、好きって口に出してみることで人への許容ができて、自らの観点に多面性がうまれ、人格形成上少なからず善い影響を及ぼして




くれないかなー。なんて。