最愛の祖母が、8月20日 17時39分、満87歳で天国へ旅立ちました。
施設から病院へ移った3日後です。
大阪で暮らす妹も、入院の翌日に帰省し、亡くなるまでの5時間、私と共にばあちゃんに寄り添うことができました。
父もデイサービスの後、なんとなく嫌な予感がしたようで、介護士に連れてきて貰い、ばあちゃんに会うことができました。
その日は仕事だった母を電話で呼び戻し、ばあちゃんの弟妹も、甥と姪も集まり、みんなでばあちゃんを天国へ見送ることができました。
私たちの『ばあちゃん、がんばって!』という叫び後に応えるように、最後は大きく息を吸い込み、一生懸命がんばってくれました。
『ばあちゃん、今までありがとう』と言葉をかけたかったけど、ばあちゃんに、もうすぐ死ぬんだよ!って伝えるのと同じような気がして…どうしても言えなかった。
聞き取れなかったけど、最後に何か一生懸命しゃべろうとしてた、ばあちゃん。
何て言おうとしてたんだろう。
1週間前まで居た施設の前は、町のお祭り会場。亡くなった日と、その翌日はお祭りでした。
施設から花火を観るのを楽しみにしていた、ばあちゃん。
お祭りの日は、夜においで!一緒に花火観よう!と、ずいぶん前から言ってたんです。
葬儀会場もたまたまその近くで、亡くなった日とお通夜の前日は、ばあちゃんと一緒に窓から花火を観ました。
これは、母と妹が会場の外で撮った動画。
私は、中でばあちゃんと一緒に眺めてました。
ばあちゃん!花火綺麗やなー!( ´ ▽ ` )
もっともっと優しくしてあげれば良かった。もっともっと一緒に居てあげれば良かった。
ひ孫も見せてあげられなくてゴメン。後悔ばかり…今も涙が止まりません。
義理の息子である父が、ずっと泣いていたのが印象的。自分の親より長く一緒に過ごしてるんやもんね。
葬儀後の初七日の挨拶で
婿養子としてこの家に来て40年!勝手させて貰いました。お義母さんには感謝してます!
と、父が泣いた時は、その場の全員が泣いた。
女手一つで母を育て上げ、60歳でJAを定年退職後も、確か私が大学を卒業する年、70歳になるまでパートで働き
贅沢もせず、遊びにも行かず、仕事に家事にと働き者だった、ばあちゃん。
自分が癌で闘病中なのに、いつも私たち家族や、りゅうたろうの心配ばかり。
本当は15日に、一時帰宅して、お墓参りに連れて行ってあげる予定だったけど、容態が悪いため、それも叶わず。
『家に帰りたい。お墓に連れて行って』と、今月に入ってからずっと言ってたもんね。
ごめんな。ばあちゃん。
お盆前まで元気だったから、まさかこんなことになるなんて思ってもなくて…
今、座敷で母がばあちゃんの遺影の前で、布団も敷かず、寝てる。
いつも喧嘩ばかりしてたけど、一番悲しんでるのは母だよね。
りゅうたろうもばあちゃんの遺影を見ながら、ピクリとも動かずボーッとしてる。
りゅうたろうも分かるんやね。
教育熱心で躾にうるさいばあちゃんとは、反抗期には喧嘩もいっぱいしました。
ぜんぜん怒らない、とにかく、ただただ優しいばあちゃんがいる友達が羨ましかった。
でも、その考えは間違ってた。
家族の中で、私に一番厳しく、いろいろ叱っていたばあちゃん。それは、ばあちゃんの私に対する愛情やったんやね。
親戚のみんなには、私のことをいつも自慢していたらしい。
昨日、ばあちゃんの弟が教えてくれました。
ばあちゃんのこと尊敬してます!大好きです!
今まで、ほんまにありがと。
ばあちゃんのように、強く逞しい女になりたい!