この不思議なタイトルのイベントが、2019年3月2日の土曜日の昼下がりに、学芸大学(碑文谷)のライヴハウス「APIA40」にて開催されました。

 

この会場、「APIA40」は、昔は渋谷にあった「アピア」が、学芸大学(碑文谷)に移転したらしいのです。

渋谷の頃はライヴハウスで、何回か出演した事がありました。

今日は暗渠を研究している知り合いの方がトークイベントを行うので、来てみることにしました。

 

暗渠としてのイベントなら、これまで何回もそれぞれの会場に足を運んだことはあるのですが、競馬とのコラボはもちろん初めてです。

十数年前には足を洗ったものの、今でも時々気になって仕方がないのが競馬。

この異質なもの同士のマッチングには、心が惹かれたというよりかは、血が騒ぎました。

 

会場にはギリギリ入場し、ちゃんと間に合いました。

オープニングにいつも司会慣れしている高山氏のイベント説明が行われました。

このイベントの目玉として「暗渠ダービー」が企画され、東京都心部の河川暗渠の投票が、予めSNS上で行われたのです。

その集計結果を、枠連3連単方式で来場者に予想投票してもらうための、説明でした。

ここは本職のプレゼンで鍛え上げられたのか、滞りなく説明された様子でした。

 

これは暗渠マニアックスのイベントでおなじみ、暗渠QUIZ、略して「暗Q」の場面。

この会場(碑文谷)がどの競馬場と繋がっているかという三択問題でした。

東京競馬場と、大井競馬場と、もうひとつは中山競馬場だったか記憶があやふやでしたが、正解はもちろん大井競馬場。

挙手方式で参加者は解答しましたが、さすがにほとんど全員が正解でした。

イベント中の図をカメラに収めるタイミングにはいつも苦労するのですが、この青いラインが立会川の暗渠だそうです。

いつか必ず、機会を設けて歩こうと誓いました。

 

そしてこれが、1954年の東京競馬場、僕が生まれる10年前です。

水色の部分が水路だったようですが、今ではほとんどが暗渠化されています。

 

エッセイスト虫明亜呂無の作品からの抜粋、昔よくラジオで紹介された方ですが、久し振りに名前を聞きました。

 

このイベントには高山英男の他、暗渠マニアックスの相方である吉村生、目黒考二、浅川宏樹も登壇されました(敬称略)。

競馬エッセイストの目黒考二という名前ではピンと来ませんでしたが、藤代三郎のペンネームは知っていました。

競馬雑誌の外れ馬券エッセイを、いつも楽しみに読んでいたものでした。

浅川宏樹はブラジル音楽の演奏家でもあるらしいので、いつか聴いてみたい(競演したい)と思いました。

 

そしてこれが、運命の「暗渠ダービー」結果です。

個人的な予想は枠連で5-4-6だったのですが、見事に外しました。

それでも、おそらく40名以上の来場者の中から、正解者が3名も現れた事に驚きと共に天晴!

そしてこの企画前に予め投票していたのは、(忘れたけど)江古田川だったような気がします。

 

今だから明かしますが、ギリギリ来場のため空席が僅かだったのです。

後姿しか見えなかったのですが、暗渠学の第一人者ともいえる本田創氏が確認できました。

そのちょうど2つ後が空いていたので、その場所に難なく陣取りました。

終了後はもちろんその本田氏に「お疲れ様でした。」と軽く挨拶をしました。

登壇者はそれぞれの数多くの知り合いの方が挨拶に殺到していたので、毎度のことながらこれは断念。

 

このまま帰るのも癪なので、後部のミキサー卓をちょっと覗いてみました。

2名の男性が鎮座されていましたが、帽子を被られていた方に懐かしい面影を感じました。

半ば確信したようにその帽子の方に「もしかしてマスターですか?」と、声をかけてみました。

「そうです。」あ、やっぱり!「NO CASHです、覚えていますか?」

小首をかしげるマスター、「まだ渋谷に在った頃、オープンマイクで変な歌ばかり歌っていた奴です。」

「まだ続けているの?」「暗渠の歌とか、競馬の歌なんかも作って歌っていますよ。」

マスターの隣にいた若いスタッフが、横を向いて「何年前の話ですか?」と。

「もう30年以上も前ですよ。」と、僕が口を挟めば、マスターも「そうだ、そうだ。」と頷いてくださいました。

あれからTwitterでは、店のアカウントからフォローして頂きました。

 

最後にオマケですが、立会川ではなく、学芸大学駅と反対側に流れる吞川支流暗渠を歩いたのでした。

 

蛇足ながら、僕の歌う「暗渠歌曲」のYouTube画像も載せておきます。

 

歌詞はこちらをご覧ください。

「暗渠歌曲」歌詞