思えば10年ほど前は、職場が銀座でした。
今は亡き派遣会社(メットライフドームのかつてのネーミングライツ権スポンサー)を通じて働いておりました。
いわゆる高級クラブだったんですけど、勤めていた3年程で不況と共に衰退していきました。
事務職全般を任されていたのですが、税理士を通じて店舗閉鎖の手続を行いました。
職場があった頃は、よく周辺を歩いたものです。
銀座は昔から区画整理がなされていて、ちょうど北から順に、一丁目、二丁目、と続き、八丁目まであるのです。
そして時折見かける「九丁目」の表示。「そんな馬鹿な?」と、目を疑ってしまいます。
実際の地図では、高速道路の高架部分に、港区との区境があります。
その高架下は「銀座ナイン」と呼ばれる高価なイメージの商店街になっています。
本当は古地図をここに表示したかったのですが、乏しい技術力のために断念。
参考になると思われるサイトを、リンクしておきますね。
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/7/
注目すべきは地図の左下、左から土橋、中ノ橋、新橋と並んでいる川の部分。
土橋は、首都高速のインターチェンジとしておなじみの方もいらっしゃるでしょう。
土橋ついでにトリビアですが、ヤクルトスワローズの土橋といえば、すぐに2人が思いつくでしょう。
元監督の土橋正幸(1935.12.5-2013.8.24)と、現コーチの土橋勝征(1968.12.5-)。
何か気づきませんか?そう、誕生日が同じ12月5日!だから何だ?と言われても困りますけど。
話を戻します。中ノ橋は当時の名前で、現在の難波橋に当たります。
東京メトロ銀座線新橋駅の銀座方面出口があり、スカイツリー方面へ行く新橋バス停もあります。
こんな場所だから、バス停の名前も「新橋駅」ではなく「新橋」なのです。
そして新橋は、現在の新橋という地名の由来となった橋です。
この辺りは中央通りと交差しています。
博品館劇場をご存知の方は、すぐに分かるでしょう。
おっと、忘れていました。この川は、汐留川と呼ばれていたそうですよ。
という訳で、次の写真。
難波橋から西、つまり土橋方面を臨んでの撮影。
こちらは東側、新橋を臨みます。左に小さく銀座ナインのロゴが見えます。
いずれも、いかにも暗渠な路地裏の雰囲気が出ています。
この暗渠が東京山の手によく見られるものと決定的に違うのは、埋め立てられてしまった川であること。
前者の場合はコンクリートなどで蓋をされた状態でも、川は川としてちゃんと流れている。
しかしながら、埋め立てられてしまっても、元々が川なのだから「暗渠」には入れておきたいです。
そしてそして、どういう経緯で発生したのか、今でも受け継がれている「銀座」信仰。
その証拠に、日本全国の商店街には何故か「銀座」の名前を拝借したものばかり。
銀座は八丁目までだけど、さしずめ汐留川は九丁目??
昔の流行歌(敢えてこの表現を使う)に、こんなのがあったそうです。
♪銀座九丁目水の上/神戸一郎(かんべいちろう)