ラジオから流れてくる「東京ワッショイ」、当時中学生だった僕は作詞作曲こそ始めていたのだが、これには度肝を抜かれた。

 

後で知った事なのだが、なんと誕生日が同じだった。これは後にも先にも、有名人の中で最も誇りに思う。

 

そんな影響もあり、自分の楽曲でロック的な挑戦が始まったのが「NO CASHのテーマ」。これ、実はエンケンご本人にもお聴かせした事がある。十数曲収録したカセットテープの中の1曲だったが、なぜかこれを名指しで絶賛してくださった。

参考までに、昨年1月の「月刊NO CASH」で同曲とエピソードを紹介していたのでリンクしておく。

「月刊 NO CASH379 2016.1.13」

 

 

エンケンのライヴ会場は渋谷近辺が多かった。打上会場といっても、ごく一般的な居酒屋で開催されるケースが殆どだった。

ライヴの打上に初めて参加したのは確か1985年の12月頃だったと思うが、今は亡きジァンジァンで行われたライヴの時だった。

席が隣だった同年代の女性からなぜか声をかけられ、開演前のやや退屈な時間を雑談で凌いだ。

ライヴが終わり、「これから打上に参加しない?私はいつも行っているの」「いいんですか?」こんな流れで憧れのミュージシャンとの接点が出来た。初心者の僕にも気さくに応じてくれたエンケン、今でも決して忘れられない。

 

僕が自分の音楽性を説明する時、相手がある程度音楽に詳しそうな人だと思ったら、遠藤賢司の名前を出す事にしている。

まぁそれ位、影響力が強いのだろう。

 

 

やたらリンクが多くて読みにくいブログになってしまいましたが、ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます。

エンケン人生最後のブログを、ここに掲載しておきます。

この回には記されていませんでしたが、ほぼ毎回のように政治的なご意見が書かれていて、概ね僕と同意見なのにも納得しました。