暗渠マニアの方、そうでない皆様もコンニチハ。

 

今月11日なぜか祝日「山の日」に発売された書籍

東京暗渠学/本田創\2,400洋泉社をご存知でしょうか?

これは数年前に発売された 東京「暗渠」散歩/本田創の続編。

僕は自分のTwitterによると、8月15日に渋谷川暗渠の上に存在する山下書店渋谷店で平積みに販売されていた内の1冊を入手したようです。

 

その著書で初めて知った暗渠も数々ありました。

赤坂付近を流れていたとされる桜川については何かの本で読んだような記憶はありました。

しかしそれが、上流を辿っていくと鮫川と呼ばれた暗渠に行き着く事など、それまで全く知りませんでした。

 

その鮫川を歩く事にしたのですが、それを思い立った8月19日の土曜日、無謀にも高田馬場から信濃町方面を徒歩で目指したところ、なんとゲリラ雷雨に遭遇してしまい、計画は頓挫しました。

そして1週間後の8月26日、リベンジを果たしました。

 

今回は素直に四谷三丁目で下車、鮫川を歩く事に。源流地点と思われる、日宗寺の裏にある公園。一応「須賀町遊び場」という名称がある。右奥の人家も暗渠っぽい。

 

円通寺坂。この建物は幟からも判るように、トランクルーム。こんな都会にも意外に多い。建物の脇道も暗渠のようだ。鮫川の支流暗渠?

 

新宿通りから南下していくと、起伏のある三叉路に当たる。右へ上っていけば須賀神社方面だが、川筋はもちろん左へ下る。今から10年程前だったか、この辺りから神宮球場花火大会を見物した記憶が甦る。

 

鮫川の支流となる鐙が池からの流れを、下流から辿ってみる。すると、こんな井戸を発見!まぁよくある注意書ですが、その水を飲んではいけないらしい。

 

鐙が池という鮫川のもう一つの水源があったとされる、若葉公園。今も水害防止に一役買っているようだ。実はこの公園、30年以上前の専門学校在学時に何度か訪れた記憶が残っている。

 

親水公園さながら、人工の水路も作られていた。途中からベニヤ板で蓋を掛けられており、簡易暗渠状態となっている。奥の万国旗は、地元町内会の子供イベント用に準備されている様子。そしてこのトイレ、紙がないので要注意。

 

ちょっと寄道。この近辺に僕が卒業した専門学校(現在は中野に移転)があったので、今の様子を見物してみると校舎の建物は残存。逆光でよく見えないが、「創価学会左門町会館」と書かれていた。この宗教法人の本部があるからね。

 

さっき寄道をしたので、左門町交差点からそのまま外苑東通りを南下。そうしているうちに雨が。信濃町駅南口そばのプロントが比較的に空いていたので、ここで雨宿りがてらに休憩。

ちょうどここは「千日谷」の谷頭であり、鮫川の支流にも当たる。

 

その支流の中腹に、鉄道のガードが。暗渠と同様に鉄道も好きなので、こういう構築物がやたらと目に入る。「中央緩行線(24)第2号南鮫ヶ橋通ガード」と、看板には記されていた。そういえばこのガードの向う側に、専門学校時代の友人が下宿していたアパートが在った。

 

支流の道の突当たりは、鮫川本流との合流点。ちょうど三叉路になっていて、広くなっている交差点は三角州のように取残されている感じがして面白い。

 

少し本流を溯ると、鐙が池支流との合流点と思われる地点に。

 

赤坂御用地の手前の流路部分が、工事中であった。興味深い工事図が掲載されていたのだが、横断歩道を渡った直後でもあり、遠くからのピンボケ画像となってしまった。

 

ここからはもう桜川と呼んだ方が適切なのだろうけど、港区元赤坂1-7付近に橋の欄干が残存しているのを発見。画像をよく見ると、大正14年11月に竣工されたようだ。

 

更に赤坂見附駅付近、水道局の管理地と思われる下水暗渠が。

 

前半(専門学校旧校舎)までは休憩時にリアルタイム的にTwitterで投稿していたのですが、後半はとりあえず撮るだけ撮ってブログに着手したのがもう既に翌日の夕方になってしまったのでした。

 

歩きながら撮影するのはいいけれど、後でまとめる作業がどうも苦手です。

まぁこれに懲りずに今後も続けていきますので、宜しくお願い致します。