放牛石仏77体目、新築の家が次々建つ益城町古閑 | 週末放浪記

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 上益城郡益城町古閑442「古閑地蔵堂益城三十三ヶ所第七番札所」、この南側に放牛石仏77体目がある。

 地蔵堂をGoogleMapで調べると、いかにも歴史あるお堂の写真が出てくるが、令和6年5月11日(土)現在、とても新しいお堂に建て替えられていた。

 由来について記された看板がある。

 「古閑の地蔵堂」について、「この場所は、木山往還」という交通の要所であり、1699年、古閑地区の集落の玄関口に建立され、お堂が完成したらしい。

 そして、その30年後となる1730年、放牛僧が招かれ、放牛石仏77体目が建立され、そのとき、放牛僧は祭りの作法を伝道したそう。

 当時のお祭りの作法も記されており、面白い。

 

 そして、放牛石仏だが、古閑の地蔵堂の南側に位置する。

 猿田彦大神の横だけど、この益城町と隣接する熊本市東区には、猿田彦大神を祭った石柱をよくお見かけする。

 今さらだけど調べてみた。ネット(「猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神」、出典https://www.sarutahikojinja.or.jp/)で一瞬で分かる。便利な世の中になった。

 お地蔵様も道標、そりゃあ同じ場所でよく見かけるはずだ。

 

 放牛地蔵を観察する。

 光背に割れが認められ、修復されている。

 台座はないようだ。

 七十七という文字ははっきりと確認できる。

 とても穏やかな表情のお地蔵様だ。

 

 今でこそ主要幹線道路とは言えないが、この道は抜け道のような感じで、車の通りは多い。

 お地蔵様には、また、猿田彦大神にも、昔は旅の安全だったろうけど、いつまでも交通の安全を見守っていただきたい。

 感謝。