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登別市在住のアルバム大使、NJ ROOMちはるのブログ

登別市在住で富士フィルムアルバムカフェ事務局公認アルバム大使、ちはるのブログです!
札幌市から引っ越し、活動中です!
素敵な思い出をより素敵な形で残すお手伝いをしたいと思っています(*´꒳`*)

皆さま、おはようございますピンクハート
登別市在住、富士フィルムアルバムカフェ公認大使のちはるですビックリマーク音譜

体調を崩していたので、ブログ更新をお休みしていました。
まだ本調子ではないのですが、ワーママ頑張っていますニヤリ
寒くなってきましたので、皆さまもお体どうぞご自愛下さいねラブラブ

今日は、父の退院が決まって自宅療養が始まった時のこと、父から電話がかかってきた時のことをお話させていただきます。

父の退院が決まった時、実家には体調が良くない母と働いている末の妹のふたりがいて、そのふたりで父を看病する、という状況になっていたことを当初の私は知りませんでした。
その前に妹たちと、母の体調のことや妹も働いているので、訪問看護が利用出来たらいいね、という話題も出ていました。
退院した時、父はそこまでの必要がないと思われていたのか、基本的には家族で看病するようなことになっていました。
後日ですが、要介護認定3と言われた父を、うつ病が再発しそうなくらいの母と、仕事をしている妹とで看病するなんて、誰が決めたのかと今でも思ったりもしますが、もう過ぎたことなので疑問を解決する気もなく、割り切ろうと思っています。
死ぬならうちで死にたいと若い頃から考えていた父。
それを知っていた母や妹がそうしてあげたいと思ったのかもしれません。


父に会うまで、そんな状況とは知らない私は、夏休みに帰省したら姫たちを会わせようとか、8月生まれの一姫の誕生会をどうするかとか、父と姫たちの時間をどう作り、どうすれば母に負担がかからないかを考え、妹たちに相談したりしていました。

父からの連絡は、そんな中でのことでした。
忘れもしない、あさこさんとお会いしたあと、雨の中、ご縁があって登別市長との意見交換会に参加させて頂いた日のことでした。

父が、こっちに来たいから迎えに来て欲しい、孫たちに会いたい、一緒にご飯を食べたい、と話してきました。

私は妹たちから父が認知症かせん妄かもしれないという話を聞いていたので、仕事もあり、急に休めないことやもうすぐ帰るからその時に姫たちを連れていくという話をして電話を切り、すぐ末の妹に確認のラインを入れました。

父は登別まで行けるのか。
食べ物も食べられるのか。

妹は、どちらも厳しそうとすぐに返信してくれました。
そして、退院してからやりたいことを書いた父のメモ画像を送ってくれました。

そこには、かつてはすごく綺麗で憧れた父の字ではなく、なんとか読めるくらいの字で退院したらすぐ登別に行くこと、孫たちに食べさせたいメニューが書かれてありました。
私はそれを見て、父が死に近づいていることを感じ、涙が溢れました。
なんとか父を連れて行ってあげたかったんですが、叶えられませんでした。

父は、退院したものの、自宅の二階に行くのも厳しく、トイレにも行けなくなっていきました。
食べ物も、本人の希望で退院してすぐにラーメン屋に行きましたが、ほとんど食べられず、流動食のようなものをとることしかできなくなっていました。

そんな状況なのに、母や妹に無理難題を押しつけるようになっていき、私が帰る前に、無謀なふたり介護の限界が近づいてきていました。





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