東日本大震災から6年。あれから毎年、14:46に黙祷をしています。






私は生まれも育ちも宮城県です。今も宮城県に住んでいます。

あの日は、いつものように商業施設の中の店舗で仕事を行っていて、突然大きな地鳴りと共に大きい揺れが襲ってきました。
その後、携帯の緊急地震速報がなりました。







お客様もいたので、声をかけて、とりあえず外まで誘導しましたが、その場所も危険だということで、大きな駐車場まで避難。








地面が波打つような感じで、とても立っていられませんでした。









そうこうしているうちに、大きな雪が降ってきて。








そして、お客様のスマホのテレビから聞こえてきた「津波が来ています」の声。








主人は内陸で仕事でしたが、無事なのか。

実家の家族も大丈夫なのか、

海沿いの市場で働いている祖母こそ大丈夫なのか、

義母も沿岸部で勤務しているし、

心配で心臓がバクバクしました。







避難していたみんなで「大丈夫だよ、大丈夫」と声を掛け合って、励まし合いました。







信号もとまっていたので、かなり時間はかかりましたが車で帰宅。








主人とは何とか電話がつながり、無事を確認してホッとしました。








義母も高台へ避難して無事で、今日はそのまま泊まるとの連絡が入り、義父は市の職員だった為、招集がかかりました。







オール電化の我が家だったので、とりあえずロウソクを照明がわりにし、ご飯は卓上コンロを使用して圧力鍋で炊き、冷凍庫や冷蔵庫にストックしてあった食材で食事の用意をしました。








実家の家族と連絡がとれたのは夜でした。しかし、弟と連絡が取れないとの事。

父も沿岸部に事務所がありましたが、渋滞しながらも高台へ避難できて無事帰宅。

弟も沿岸部に会社があって、連絡も取れず、帰宅もしていないと。

無事であってほしいと願っていた夜中の1時に、ようやく弟が帰ってきた時は、みんなで喜んだそうです。

「津波から逃げて、会社の車も津波で駄目になり、歩いて帰ってきた。大きな国道に車が何台も重なっていて、そこを登って帰ってきた。」

私は聞いた時ゾッとしました。






市場で働いていた祖母や叔父も、避難して無事でした。市場は本当に海の近くでしたが、市場は無事で、本当に奇跡でした!








それからは、不安と戦いながら、生活していくためにはどうしたら良いか、知恵を振り絞っていました。







電気は駄目で、水道も近々駄目になるかもしれないという事で、少し貯めてストックしました。井戸水があったので、トイレは井戸水で流しました。







お風呂なんて入れなくても平気でした。(冬だったからまだ良かったけど。)

ガソリンスタンドは長蛇の列。

たまに開くスーパーやコンビニも長蛇の列。

道行く人と声をかけあって、生活していました。







そして、数日経って聞こえてきた、知人の悲しい知らせ。








絶対に忘れることのできない東日本大震災。







生かされた私たちに出来ること。








これからも、私に出来ることを、やっていこうと思います。