ダンナが留学した後、私はつわりがまだ治まらず、午後から仕事に行くことが
ほとんどだった。
私は実家から自転車で10分くらいの歯科医院に勤めていた、また産婦人科も
実家近くの産婦人科だったので、検診に行く日の前の晩は実家でお世話になり
それ以外は義父母宅でお世話になっていた。
留学したダンナは、まだ住む所が決まってないため、留学する大学のゲストハウスで
寝泊りしていた、私も一度、家の中を見たことがあるけど、広い、広すぎる、そして落ち着かん!
いつ頃部屋が決まったか覚えてないけど、留学する研究室(であってるのかな?)は日本人の
教授で、他にも2人日本人がいたので親切にしてもらったみたい。
部屋は同じ研究室の日本人留学生が住むアパートと同じだったのでよく料理を一緒に
作っていたらしい、「サライの料理本を送って」と頼まれて、送ったこともある。
この当時はよく写真を送っていた、それはお腹が大きくなった自分の写真だったり、
買ったばかりのベビー用品にコメント書いた写真だったり。
今でも写真と手紙は残ってるはず(引っ越したから捜索しないと見つからないだろうけど)
お腹が目立ち、いかにも妊婦という体型になった頃、ダンナが
「こっち(オクラホマ)で出産しないか?」言ってきた。
ちゃんと父親教室もあるし、日本にいる時よりは助けられるはずという考えで
言ってきたらしい、義父母は賛成だったようだが、実家の両親は大反対!
特に父親は相当怒っていたらしい、その当時父親と直接話はしなかった、
母親は初めてのお産で、英語もしゃべれないし、いくらダンナがいるといっても
一人の時に何かあったら大変なことになると心配していた。
ダンナとは何回か話し合ったけど、実家の両親の心配してくれる気持ちがありがたかったので
日本で出産することにした、両親はホッとしたけど、ダンナはガッカリ。
この選択に後悔はしていない、後に書くことになるけど、オクラホマでの生活は
精神的に大変なことが多かったから。