絵を描くのが大好き。
その気持ちを大切に
すくすくと育った私
絵を描くことが
生活の中心だった私は
それなりに絵がうまくなりました
そして
小学校も中学校も
田舎で人数が少ないということもあって、
9年間ずっと
『絵が上手なmamiちゃん』
と、周りから評価され
クラスの中でも一番上手、
何か描けばコンテストに入賞、
そんな環境で過ごしてきました
ありがたいことに
「絵を描くことが上手!」
と、言われ続けたおかげで
物心ついたときから
「絵を描くのが上手」というのが
私のアイデンティティのひとつになったんです
目には見えないけれど
私の中に確実にあった
「絵」に対する自信
それが
ガタガタと崩れていったのが
進学先の高校で過ごした3年間でした
県内でも
美術に特化した
「絵が好き」な学生が集まる高校
そんな学校に入学した私
推薦入試の合格者は
20名という狭き門。
そこに合格できて、
「私は選ばれたんだ。」
という誇らしげな気持ち、
そして
「これからの自分」に対して
胸が高鳴りながら
入学したことを今でも覚えています
そうして
ワクワクした気持ちをもって
はいった学校で
待っていたのは、
中学校で一番絵が上手だった
それが当たり前のクラスメイトたち
絵の才能があったり
本当に「好き!」な子が
集まる場所だったので
自分のレベルを
これでもか!というくらい
直視せざるを得ない状況が
目の前にやってきたんです
高校での
私の絵は「中の下」
今まで
トップを走り続けた私は
自分のレベルに衝撃を受けました
美術の先生にも
「中の下」とはっきり言われました
美術に特化した学校なので
課題を描き終えたら、
クラス全員の絵をズラリと並べて
みんなの前で、
先生たちからのするどい指摘や
「えっと・・・」
と、言葉に詰まってしまうような
質問が始まります
目の前に並ぶ自分の絵
その状況では
嫌でも目に入るんです、
クラスメイトたちの画力が。
すごい人たちの集まりの中で
自分がどんどん普通の人となって
「絵が上手なmamiちゃん」という
今まで築かれていた
アイデンティティが
少しずつ、少しずつ、
削られていくような感覚を味わいました
自分の絵に向き合うということは
自分のレベルを直視し
周りとの差を認め、
努力をし続けるということ
その現実は当時の私には
とても苦しいものでした
もちろん、
絵は好きだし
絵が上手くなりたい気持ちは
変わらない
でも、
上手になれないという
歯がゆさもあって
気持ちと行動が
伴わない・・・
描いてる途中の絵に
赤ペンで修正を入れられる
自分の絵が消される
そして、
ごもっともなのは
百も承知だけれど・・・
キビシイ言葉をもらう
そんな日々
いつのまにか、
先生の指導がはいる時には
私はごまかし笑いをするようになり
「なんで笑うの?ふざけてるの?」
そう言われても
笑ってごまかすことが
自分を守る最後の手段として
身についてしまったものでした
今でもそのクセは治っていないんです
自分が直視しないといけない現実
うまくいかない歯がゆさ
どんどん削られていく自信
必死に自分の
「絵が好き」という感情を
守っていたんだなぁと思います
ちょっと話がそれますが、
美術部って
どういうイメージでしょうか?
高校に入るまでの私のイメージは
「美術部はオタクの集まり」
ごめんなさい!
絵が好きな子が集まり
それぞれのペースで
ゆるゆると絵を描いて、
その時間を楽しむ
それが美術部だと思ってました
でも
私が通った高校の美術部は、
運動部並みの練習量がある
ゆるゆるとは無縁の部活でした
学科が美術ということもあって
美術の時間が元々潤沢
朝活・昼活・そして放課後と
授業の美術の時間も加えれば、
平日でも4〜6時間、
休日だと8時間強、
絵と向き合う時間が取れる、
そんな環境でした
存分に打ち込める環境が
整えられている学校
絵を描くのが好きな子には
この上なく幸せで
最高の環境なのに
私は逃げたんです
絵が上手なクラスメイト
彼らと比べられる環境
中の下というレベル感の自分の絵
上手く描けない自分
向き合う時間、
向き合う場所で
全力を出しても
ここには
私が越えられない壁がある
そんなことを
肌で感じとった私は
ちょっとずつ
作業時間を削って、
中のレベルから
上にいけないのは作業時間のせい。
本気で描いてないから。
そんな言い訳ができるように、
絵と、
自分と向き合うことから逃げたんです
「絵が好き」という
自分にとっての
大切なアイデンティティを守るために
私は絵と向き合うのをやめました
だから、
自分の絵が好きじゃない。
自分の絵に向き合うことは
心から苦しい。
自分と向きあうことはやめても
表現の手段として選ぶのは
「絵を描く」ことでしたが
描くのは簡単に描ける絵
「可愛い」って言ってもらえる絵
自分にとって
ラクな方、ラクな方に
気持ちが流れていきました
3年間みっちりと
美術と向き合う高校だったので
卒業後の進学先は
美術系の大学が自然な選択
美大か教育学部で
美術の先生になる
もしくは専門学校に行く
同級生たちも
ほぼこのルートを進んでいきます
絵を描くこと自体を
あきらめたわけではなかった私は
推薦入試で
美術系学科のある大学に合格しました
この結果には
学校の先生、友人も
心底驚いていたし
当の本人の私も「まさか。」
と、ビックリ。
クラスメイトは
推薦入試に挑むメンバーを見て
はっきりと
「mamiは落ちる。」って言ってたくらいです
この入試の課題が
前日に描いた石膏像と同じ、
そしてアングルも同じという
最強運を引き寄せた結果で
幸運にも
次への切符を手に入れました
高校では
自分の中で
消化しきれないものがあったけれど
大学に入れば、何かが変わるはず。
そう、環境が変われば
何かが変わる・・・
根拠はない
でも少し希望のような気持ちを抱えて
入学した大学で待っていたのは、
高校時代より
「本気」で「卓越」した同級生たち
そんな中で
頑張れたのは1か月ほど。
あとはまた高校時代と同じ・・・
自分の絵と向き合えない私。
がんばっても超えられない壁がある現実。
振り出しに戻る、
というよりも
もっと後ずさりしたような感覚で
目の前の大学生活という
甘い響きを言い訳に、
「絵」にとっての最高の環境から
私はまた逃げました
描くことから逃げた。
私は絵を描いていける人間じゃない。
仕事にするなんてもってのほか。
そんな想いが蓄積され
「自分の絵が好きじゃない」という想いが
カチカチに根付いていきました
そんな私が、
今回どうして自分の絵を描く
絵本に行きついたのか。
また書きますね^^
第3話に続く。