今なら歴女だけど、昔はそういうことは決してカミングアウト出来なかった
(一流大の日本史学科卒の才女とかならOKだったのかもしれんが?)
当時 司馬遼太郎好きの私は、 “ 隠れシバシタン ” として密やかに熱愛読していた

司馬遼太郎作品の中で
ちょっと異色だなぁと印象に残る
『空海の風景』(中央公論新社)

あわせて読むと楽しい
『空海の風景』を旅する
NHK取材班(中公文庫)

「こーぼー大師さんが、悟りをひらくために頑張った話かぁ」と思って読みはじめた私だが
司馬さんがそんなん書くわけない(笑)
えーっなんでそうなるの?と冒頭で驚く
大師サマを『稀代の大山師』ってな感じでまず炙り出してゆく

その作中に出てくる
印象的なシーンが『乙訓寺』
空海と最澄がはじめて会った場所
あの両巨頭が初対面!(史実です)

昔は違ったんだろうけど 今は
かなりこぢんまりしたお寺です
住宅街の真ん中にぽつんとある

なんとなぁく大きい木を見上げているだけで穏やかぁな気持ちになれる場所やなぁ...って感じた


空海が嵯峨天皇に贈ったといわれる
蜜柑が秋空に輝いています
いい季節に来て良かった

嘘かホントか...
事実だとしても何代目の木よ?
でも空海が見ていたと言われれば
そうかもしれないと感じるぐらいの美しさに、うっとり(人´∀`).☆.。.:*

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
空海が嵯峨天皇に
蜜柑とともに贈った漢詩
(の現代語訳(『空海の風景を旅する』 中公文庫より一部抜粋)

星や玉のように
黄金の気品を持っています
豊かな香や味が籠いっぱいに
充ちてくるようです

このような珍しい果物は
どこから来たものでしょう
きっと天帝に、三千年に一度みのる
果実を贈った天女・西王母の里から
きたのでしょう

この実は千年に 一度 聖人が
世に出るきざしに違いありません

そのミカンの木にのぼって摘り
陛下に献上いたします
小さなミカンの小箱を六つと
大きなミカンの小箱を四つです
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

えっ千年に一度の聖人って
俺だよっσ(゚Д゚*)って意味?

蜜柑がたわわに実る
一番よい季節にきた幸せを満喫して

さぁ御朱印を...と思ったら

まさかの
インターホン押しても声をかけても
誰もいない(´;ω;`)

スタンプラリーじゃないもんいいや
御縁がなかった?不信心...?

いやいや「またおいでやぁ」と
弘法さんがゆーてくれてはるんや!
と自分に言い聞かせつつ

乙訓寺を後にしました

あぁ弘法さんのお背中が
小さく遠ざかって行くぅ...

ホントにまた来よっと

丸写しの手抜きではございますが
ご由緒はこちら↓

気を取り直し 次を目指すけれど
疲れていたので長法寺を諦め
【長岡天満宮】へ向かいました
明日へ続く