子供の頃の出来事で
おぼろげには覚えているけど、
思い出せない事があったり
断片的に覚えている事がうまく繋がらなくてもやもやしたり
あれはどこに行った時の事だったのか思い出せなかったり
身内や遠い親戚の事を聞きたかったり
親に聞いて解決したい時ってあると思うんです。
だけど母に聞いても何も解決しない。
絶対に覚えているはずの事も何も覚えてないからです。
こんな事になるとは思っていなかったので
後悔しています。
認知症になる前に色々と聞いておけばよかったと。
母は私達と同居する前に亡くなった自分の夫の生死すら分かっていない。
認知症は直近の記憶は思い出せなくて昔の記憶はしっかりあるなんて言うけど
最近の事、ついさっきの事だけではなく
昔の事も忘れている。
最近は喋ろうとしてもなかなか言葉が出てこない。
もっと色々と聞いておけばよかった、教えてもらっておけばよかったと、本当に悔やまれます。
もともと親戚付き合いがなかったし
母が家を出て再婚し、疎遠だったので仕方がないのだがもうどうにもならない。
残念でなりません。
そこでもう1つ
気になっていてネットで検索してもわからない事があります。
実家には仏壇もありましたが
神棚がありました。
以前はたくさん祀っていたそうだが祖母の代で
儀式をしてかなり処分をして少なくしたと子供の頃に聞いた気がする。
父と祖父が船員だったので航海の神様と何かの神様はそのまま祀っていると聞いた気がする。
昔の記憶である。
子供の頃から神棚や仏壇にお供えするものは手伝っていた。
お盆には決ったお供えの他に
水に入った素麺やお昼のおやつと言って
白玉の団子にきな粉をかけて出したりしていて毎日作ってた。
正月の準備で毎年していたのは
神様のお年玉 を作る事
半紙を正方形にカットして
米粒をひと握りいれる。
それを巾着のようにして白糸で結ぶのだが
結び目には細長く切った昆布とスルメを一緒に結びつけていた。
子供の頃から神様のお年玉と呼んでいたものは
神棚に米をお供えするという意味なのかもしれない地方によって違うのか等、
詳しく知りたいと思いました。
その辺も今となっては母に確かめようがない。
うちだけなのかな?
結婚して実家を出てからも正月の玄関のしめ飾りや
水回りには全て輪っかのしめ縄を付けたりしていた
けれど
結婚して福岡を出て、四国、関西、関東と転勤する地方によってしきたりや、売っているものが違っていて思っていたものが手に入らなかったりして
簡素化したり、次第にやらなくなったりしてしまった。
こうやって日本人が昔からやっていた事が忘れられて行くのかもしれない。
ただ娘には昔やっていた事を伝えておきたいという思いがあります。
母の記憶があるうちに聞いておけば良かった。
悔やまれます。
同じ思いを娘がしないように
思い出した事は伝えておきたいと思いました。