Sumashi Room 【Principle】 -4ページ目

Sumashi Room 【Principle】

感動・涙をテーマに簡単に読める日記を
日々、アップします。

~Principle~

ある貧しい家にも、

毎年サンタクロースがやって来ていました。


お母さん一人で女の子を育てながら、

一生懸命働いて、

クリスマスプレゼントを用意していました。


小学3年生の頃までは、

「リコちゃん人形が欲しいなぁ~、

でもクマさんのぬいぐるみもいいなぁ~」

なんて言っていたので、

貧しくても子供の笑顔の為にと、

毎年用意できることを誇りにも思っていました。


しかし4年生になった翌年、さり気無く

「今年はサンタさんに何頼むの~?」って聞いても、

「わたし、いらないの~」と言い、

クリスマス当日の枕元にも、何も書いていないのです・・・


困りはてたお母さんは、

学校で使えるようにと

“ノート”や“鉛筆”などをこっそりと置きました。


5年生の時も、

6年生の時も・・・

そのたびに、

お母さんは何かしら必要かもしれない物を枕元に置きました。


そんな娘も成人し、

二十歳の誕生日の日に、

お母さん宛てに手紙が届きました。


そこにはこう書かれていました。

「お母さんへ

おかげさまで無事、二十歳を迎えることが出来ました。

あの時、

お母さんがわたしを引き取ってくれなかったら、

今のわたしはありません。


お母さんが一生懸命働いてくれなかったら、

今のわたしはありません。


小言をいわれるときも、厳しく叱るときも、

お母さんの愛をいっぱい感じていたよ。


クリスマスプレゼントも、

“いらない”って言っても毎年くれたしね♪


小学4年のころ、

サンタクロースは親なんだってどこからか聞いて、

家も貧しかったでしょ?

だから、

お母さんに無理をしてもらいたくなくて、

頼まなかったんだよ!


それなのにお母さん、

毎年枕元においてくれてさ・・・

だからわたし嬉しくって、嬉しくって、

クリスマスの朝は、

毎年泣いてたんだ(笑)

その気持ちが嬉しくてさ・・・


そんなお母さんの子供で本当に幸せものです。

本当に本当にありがとう。

いつまで経ってもお母さんの子供であることは

変わらないんだから、

これからもよろしくお願いしますね。


二十歳になった娘より」


読み終えたお母さんは、

娘のしていた不明な行動の全てがつながり、

涙がこぼれ落ちました・・・


今年のクリスマス、

娘が帰ってくるかどうかは分からないけれど、

大好物を作って待つそうです。


ある男性


先日親父と40年ぶりくらいに

手をつないだ時

なぜか涙がでてきました。


そして なぜか、少し自分がやさしくなれた。

心が豊かになれた気がしたからです。


去年の暮れ

八歳になる息子と、

イルミネーションを見に行きました。


イルミネーションの下を

手を繋ぎ歩きながら色々考えました


「来年もまたここへ来て、

手を繋いで歩けるかな…」


「来年はまだ小学校三年だから、

まだ繋いでくれるかな…

でも、再来年は五年生だから…だめかな… 」


「こいつが二十歳になったら一緒に酒呑みたいな…」


その時気付きました

「俺の親父も俺が子供の頃同じように思ったんだ…」


考えてみると

親父と二人きりで、

酒を呑んだ事は一度もありません

もちろん、

小学生の頃から

何十年も手を繋いだ事などありません。


48歳になる自分でも

80歳になる父とっては永遠に子供…

きっかけを作り、手を繋いでみよう…

そう思いました。


二人で親父の好きな八代あきのコンサートに行き

その後 居酒屋で呑みました。

酔った親父を介抱する振りをして、

手を繋いでみました。


昔より小さくなって

しわになって

やわらかくなった手がそこにありました。


その瞬間、自分でもわからないくらい。

涙があふれでてきました…


自分はあの日から、

少しやさしい人間になれた気がします。


親と手を繋いでみてください…


ある男性


うちの家族は母と私(長男)、弟が二人の母子家庭。

父と母は、私が5才の時に離婚をし親権は母親へ。


「扶養金なんかいらない」と言い残し、

私たち兄弟を引き取ったらしい。

女・酒・ギャンブル。

全てに手を付けていた父の下に、

一人でも子供を残して行きたくなかったのだろう。


母はそれからというもの、

幼い私たちからひと時も目を離したくなかったのだろうか、

私たちの入園した保育園で働き始めた。


お世辞にも給料は良いとは言えない。

おそらく12、3万だっただろう。

自分には何一つ買わず、

全てを子供の為に注ぎ込んだ母。

いつもボロボロの服を着ていたのを覚えている。


しかし、それでも生活は厳しく、

唯一ボーナスを貰ったときだけ食べに行ったのが、

ある定食屋の塩ラーメンだった。


野菜がたくさんのった塩ラーメンを

食べているあの時間だけが、

私たち家族の至福の時だった。

…そう、夏と冬、二度だけの。


今では兄弟も成人し、

家族四人なに不自由なく暮らしている。

住むところはまちまちだが、

そんなことを感じさせないほど、

家族の絆は深い。


…兄弟三人。

しかも年子で男ばかり。

これを、女手一つでここまで育て上げた母を、

私は世界中の誰よりも尊敬している。


そして、その定食屋はというと。。。

大変残念な事に、

数年前に店主が亡くなり、

今はその形だけが残り、

シャッターを下ろしている状態である。


しかし、今でもあの店の雰囲気と、

四人で過ごしたあの時間を

生涯忘れる事はないだろう。