明治維新後に城が解体されたあと、当時の姿を復元するため観光用に建てたお城とは、エセ物のようで行く気がしなくて今まで敬遠していました。、ここへ来て「歴史」を再認識するために敢えて、入場料金を支払い臨場感あふれる場所で雰囲気を堪能しようと決めました。

 

会津若松に在る 鶴ヶ城です。天守閣まではラセン階段を登りました。登りつめる迄は主に鎌倉時代からの背景を述べている展示物の存在が確認出来ました。鶴ヶ城へは2時間程居ました。なお前述の鶴ケ丘城(鶴岡市)とは呼び方が間違いやすい。鶴ケ丘城のほうは復元せず綺麗に取り除かれておりました。

 

いちばん強烈な印象に残ったのは、やはり白虎隊のシーンですよね。戊辰戦争後に15~17歳の若者がそれぞれ飯盛山のふもとで腹を切って自害しました。うち一人は助け出されて生還です。前途多様のことが出来る有望な人材が、ここで亡くなったことが残念でなりません。

 

ところで会津若松市内を走る路線バスのなかで、モーター部が突出しているレトロなクルマに乗せてもらうことを期待していたのですが、この日は「普通の路線バス」で運行とのこと。やや落胆してしまいました。

 

西若松駅から只見線(会津若松側)に乗りまして2時間弱で会津川口駅で下車、この日の宿はこちらから迎えのクルマに乗車させてもらって10分弱で着きました。窓を開けるとゴーゴーと川の流れる音が響き渡っていた。まるで雨を降らせているかのように・・・森林と川、それ以外は何もない。自然の中の温泉宿です。

お風呂は茶褐色の赤さびの匂いが際立つ、炭酸泉でした。腰痛・関節痛に効くような解説文書が存在、ここで何もかも忘れて自然の中に吸い込まれていきたい・・・と思いましたが、現実として今は、テレビ電波はもちろん、携帯電話・WIFIが通じています。株式の売買をネットでこなすことが可能な場所でもあります。便利さには勝てませんね。

 

翌日には(鉄道をつなぐ)連絡代行バスに乗って只見駅まで、途中で橋桁がそのままそっくり(台風で)流されていた箇所がありました。只見駅から会津川口方面は未だ不通区間です。2022年度には復旧の予定。それ迄は代行バスが暫く活躍する。

 

只見駅より会津川口方面をのぞみました。

此処より新潟県の魚沼方向へ進み、帰途へ向かいます。(2020年10月5~6日)