小学生の頃から

自分で好きな科目の勉強をするのが好きだった


人体

栄養

科学

国語

当時はなかなか賢い子供だったんだと思う


けど、気がついたらなんのやる気も失せていた。




不良に集られてた時期もある。


親友のような友達もなかなか居なくて不良たちに利用されてたり、

性格や価値観や常識的な面で彼らとは合わなかったとしても孤独感から一人になりきることはできなかった。


流されたり、断る強さがなかったり、

同情しすぎて、優しくしすぎて、人をダメにしてきたかもしれない。


利己主義の自分の利益誘導しかしない

優しくない人たちに集られてるのはやっぱりつらくて

私に優しくれたくて人が寄ってくるのも嫌で


また不登校になったりした




子供って強いストレスにさらされたり

愛情不足だったり

田舎という環境だったり

いろんな理由で

自己愛が正しく育たない

何でもかんでも諦める性格になってた


だけど、ギリギリのところで生きていたら

生きることそのものに必死で

とても人生を良くしようとか、

勉強や仕事で立派になろうとか、

そんなこと夢のまた夢って感じになる



でも、諦めたくないって心の奥底にはちゃんと小さい燈がともっていて


こんな人間にはなりたくないっていう

最低ラインのことを考えて生きていた

それだけが道標だった



大人になって

何かのせいにするのは

嫌だなと思うようになった


きっかけや原因として

運や出来事や環境を受け入れるのと

自分ができない言い訳にするのは違うんだよね


嘆いたって、そうじゃない人生は体験できない

やりなおせない

だから、きっかけや原因と

自分の選んできたこと

してきたことって、

分けなきゃいけないんだろうと思う。


勉強しなきゃいけなかったなと思う

知識不足なことで困ってるんじゃないけど

他人なんて気にせず、

もっと強く生きなきゃいけなかったなあと思う



私は

人の心が見えるからわかるから

寄り添えるから

愛情深いから

優しいから

自分が損するみたいになる

私はそういうするしかない性格なだけだから

損をしてるんじゃないけど、

正確に言えば、悪いやつ、強いやつ、

ずるいやつがより得をしていく



だから余計に

子供が嫌いで 人が嫌いで辛かった。

嫌な人ばかり酷い人ばかりの世の中が辛かった。


学校どころか、幼稚園すら全然行ってない。



その代わり、好きなことをやってきた

頭が良くて何でもできて、本が好きな親のおかげで

私も本が好きだし

自然とたわむれて一体化して生きるのは本当に心地よかった

いろんなことを器用に出来るのも

親のおかげだと思う



いろんな出会いがあったし

色んな人と話してきた

いろんな場所にいって

色んな世界を見た

それも面白かった



色んな人に出会ったおかげで、

いろんな業界の知識はついてったけど


パソコンもやったことないし

それはまあこれからできるようになりたいけど

やっと政治のことがわかるようになって

その他は当たり前のことでさえ

わからないことばかりで

情けないけど

なんでもいいから好きなことを勉強し続けるのは

大事だと思う

自分の可能性をひろげる

知らないことは

少しずつ知る


知識があれば楽しいこと、面白いと思えることが増えるし


考えも感じ方ももっと豊かになる