入院して…
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トラウマが根深い
私は複雑性PTSDと診断されているのだが、トラウマになってるのが
・幼少期の両親との愛着トラウマ
・小学生時代の6年間のいじめ(嫌がらせ)
・今の病院での医療者や支援者の対応(言動)による傷つき
などがあって主治医曰く
『君のトラウマはね、色んなところでの傷つきが多くて結構散らかっているんだよ』
そして解離も多いために心理士による心理療法(カウンセリング)は適用できる状態ではない
複雑性PTSDと解離性幻聴。
入院前からだけど、入院してからもPTSD症状の特に侵入症状が強く出ていて悪夢、フラッシュバックで夜な夜な泣きながらNsと話したり…あとは今回解離の意識障害(錯乱や意識消失など)は比較的今までよりは軽いけれど、解離性幻聴が結構ある。そしてそこからフラッシュバック
なぜ解離性幻聴から解離発作の悪化より先にフラッシュバックに至るのかというと、シンプルに幻聴を自覚し始めた小学4年生の時、つまり発症時と同じ幻聴が聞こえるから当時のことも芋づる式でフラッシュバックする当時は統合失調症を自分で疑っていたけれど、幻聴の自覚があったので違和感を抱いてはいたけれど。
解離性幻聴がつらいわけ。
私の解離性幻聴は基本的に死に関する促しをしてくる
『死にたいなら死ねば良い』
『生きてる価値ないよ』
『消えたいなら死ねば』
などなどこれが始まると当然希死念慮も出るわけさ
(多分解離自体はもっと前から発症はしていたのかもしれないが自覚した時を発症時にしておきますが…)
そしてそれは発症時も同じ言葉が聞こえていたから私はそれによって過去に引き戻される(フラッシュバック)
助けてくれなかった大人や同級生
裏切って来た6年間同じクラスだった同級生
いじめの主犯生徒に刃物を顔に向けられたこと
児童精神科連れて行ってくれなかった母
いじめられる側も悪いと言った父
私は当時の1人の感覚に、過去に取り残される。次第に今入院してることもよく分からなくなって、ソワソワしてしまう。
それでも…
誰も助けてくれないあの怖さと孤独さ。
ああ、1人なんだ、人は裏切る。
そんな気持ちに押しつぶされる、泣くほどつらいけれどそれでも私はナースコールしたり、ナースステーションに行って話す。必要なら頓服もらう。
Nsや仲良い看護補助さんは言ってくれる、
『忘れないで、音仔さんは1人じゃないから』
『この病棟はみんな、味方だからね』
『ここは安全だから!大丈夫!音仔さんに危害を加える人なんていないし、そう言う人は入ってこないから』
『音仔さんがたくさん頑張ってるのはみんな見てるし知ってる、責めたり怒る人なんていない。みんな心配してるから』
たくさんの温かい優しい言葉をくれる
その言葉に救われているし、1人じゃないの信じて言葉にするのは諦めないで続けている
主治医が
『フラッシュバックや解離は悪い事じゃないんだ、記憶の処理をしようとしているんだよ。でもつらくても言葉に、言語化していってほしい。つらくて話さない選択肢ももちろんあるけれど、人に話す事で癒せることもある、だから言葉にするのは諦めないでこれからも続けて欲しい。』
というので諦めないで言葉にしている
話は戻して…
退院はまだ自信ないのでしないです少なくともあと2週間はまだ入院していようかな
絶賛情緒不安定なのが朝も日中も夜間もある波があって急に来る状態なので
実際散歩で自傷してしまうくらいにはコントロール出来ないほど不安定で来週の月曜日までは行動範囲が病棟内のみなので
主治医が学会の出張で不在の週末は大人しく病棟です
今は日勤帯の部屋受け持ちのNsと10分間の雑談タイムありますちゃんと主治医と担当看護師さんからの許可もらっての時間なので引き止めてるとかじゃないです
まだゆっくりやすむ!