嫁さんから子供の人権作文を書いてやってくれ、と言われたので、眠れないから1時間ほどかけて書いてみた。

せっかく書いたのと、さすがにこのままで提出はできないものを書いたので、ブログのネタにしてやろう。


去る202372日にNHKで放映された「Dear にっぽん ただいまと言える場所〜愛知 保見団地〜」という番組を見た。

舞台は愛知県にある保見団地という場所。

1000人いる住民の半数が外国人というマンモス団地だ。

1980年代後半から自動車関連企業へと出稼ぎに来たブラジル人が多く住むようになり、その後はペルー人、ボリビア人などの南米出身者が多く住んでいるのだそう。

そのため、同団地に住む日本人たちとの間に問題が絶えることがなく、1990年代に入ると機動隊が出動するほどの事態になったそうだ。

現在はNGO団体やボランティア団体が日本人と外国人との交流を促進する活動を行っており、この番組ではボランティア活動をしている23歳の青年に焦点が当てられている。

彼の名は吉村迅翔さん23歳。

知人や番組内では「よっしー」という名で呼ばれていた。

 

よっしーは2022年にこの保見団地に引っ越してきて、ひとり暮らしをしている。

そして、大学時代の友人たちとボランティア活動をしているという。

名前は「JUNTOS(ジュントス)」、スペイン語で”一緒に”という意味なんだそうだ。

国境を越えて人と人をつなげたいという思いから来ている。

番組内ではその活動として、団地での清掃活動や団地に住む人たちに日本語を教える活動をしていることが紹介されていた。

 

たかが清掃活動と言うが番組内でのその活動を見ると、とにかくごみの散らかり具合に驚かされる。

本当にここは日本なのか? と思えるぐらいのごみがあちこちに散乱しているのだ。

そのごみを子供たちとともに集めているのだが、「頑張る子供たちの姿を住民たちにも見てほしい」と言う。

さらに、マンションの通路や階段に家具までが捨てられている場面もあった。

引っ越していく人が”必要ないから”という理由で、捨てていくらしい。

番組最後に住民の”子供”が放送をしているシーンが流される。

放送の内容はこうだ。

「僕はJUNTOSのダイゴです ポイ捨てをすることは地球にも人にもよくありません ゴミ拾いに協力してください」

多分スペイン語で言っているので、団地に住む外国人の”大人”に向けた放送なのだろう。

 

これは、かつて日本人と外国人が衝突していた昔の話ではなく現在2023年での話である。

この番組を見ただけでも言葉が分からないから理解できない恐れや、あまりにも倫理観が違うことに驚き、昔なら暴動寸前にまでいくのも無理はないと感じられる。

 

よっしーが行っているのはあくまでボランティアなのでお金稼ぎにはならない。

しかし彼はこれは”支援”ではないと言う。

彼も親しくなった人々からもらうものが大きいのだそうだ。

では、彼はいったい何をもらっているのか。

毎日を自分のことだけに追われて、他人のことをあまり気にかけない生活をしている私から見るとよっしーのやっていることはとても偉大ですごいことのように思える。

しかし、彼にも彼なりの問題を抱えていたのだ。

 

彼がこの保見団地にやってきた理由は逃げてきたのだそうだ。

何から逃げてきたのかというとそれは”母親”から。

事の始まりは彼が幼いときに父親ががんで亡くなったこと。

お父さん子だった彼は父が亡くなったことで母につらく当たり、本人が言うには

「人にこんな憎悪を感じたことがなかった」

しかも自分にも理由がまったく分からないのだそうだ。

彼はそれで母親から逃げて保見団地に来て、そこで住民たちと触れ合うことで再び母親と会うことができるようになったのだが、それには5年もかかったという。

 

私には彼のその気持ちがまったく理解できない。

もし父が死んだとしてもそこまで母を恨むことはないだろうし、なぜ母を恨まなければならないのかという理由も想像できない。

彼も自分自身にそうだったようだが、私もそういう理解できない感情を持った彼に恐れすら感じる。

実はこれは先に書いた外国人と日本人との関係と一緒で、人間は自分が”理解できない”と感じるものに自然と恐怖を感じるのではないだろうか。

 

人間の人権のひとつには「安全な生活を営む権利」がある。

その権利を脅かそうとする存在には恐怖や反感を感じるのだ。

権利には当然義務も発生するわけで例えば「他人の権利を尊重すること」が必要になる。

よっしーが行っていることは、文化や価値観の違う人たちに「他の人が持っている大切な権利を大切にし、その人たちを平等に大切にすること」を教えていることではないだろうか。

そのためには「助け合う」ことや「学び努力すること」が必要で、それを自らが行うことによってようやく彼は”ただいまと言える場所”を得て、母親に会うことができるようになった。

この番組を見て思うのは、意見が違う人がいても、他人の気持ちや考えを考慮に入れることで、優しさや思いやりを示すことを持つことが大切なのではないかということです。

それが他人の権利を尊重することではないでしょうか。