「007カジノ・ロワイヤル」に続き、ダニエル・クレイグの演じるジェームズ・ボンド2作目。

自分としては「カジノロワイヤル」「ロシアより愛をこめて」「私を愛したスパイ」に続いて4本目。

まぁ、この4本を一緒くたにしてしまっていいのか、というのはあるんだけれど、個人的には思った以上に007している映画だった。

でも実は最初は見るつもりなかったんですよね~、長いし。

しかし「スカイフォール」は見るつもりだったし、どうやらダニエル・クレイグの007ってお話が続いているという話だったし、なにより前回「カジノロワイヤル」があんな終わり方をして、「慰めの報酬」はその直後から話が続いているということなので、見ておかないと仕方がないか~、と諦めて見ることに。

で、実際見てみて思ったのは、見てよかった~、というのと、007という作品による見にくさが気になった。

 

自身がスパイ生命を捨ててまで愛した女性、ヴェスパーを操っていた男、「ミスター・ホワイト」を捕まえたボンドであったが、あろうことか取り調べの最中に彼に逃げられてしまう。

ホワイトを逃がした実行犯を殺してしまったボンドは、彼の遺留物からエドムンド・スレイトという人物の存在を知る。

そこで、ロンドンからハイチに向かったボンドであったが、今度はエドムンド・スレイトを殺してしまう。

たまたま彼あての荷物を見つけたボンドは、その荷物をきっかけにカミーユという女性に出会うのであった。

 

正直に言ってですね、もうこの辺りでボンドはボケで、Mがツッコミというコメディ映画にしか思えなくなってしまったですよ(笑)

Mのツッコミも前回からの伏線が効いていて、Mとボンドの会話のバックに笑いの効果音を入れたらはっきり言ってドリフ大爆笑になっちゃいますね。

だから後半のちょっとむごたらしい死に方をする女性がいるんだけれど、それもドリフだとして見たらまた一興。

何よりこの映画の前に「ロシアより愛をこめて」「私を愛したスパイ」を続けて見ちゃったもんだから、どうせボンドは危険に遭っても死なないという前提のエンターテイメント作品なんだから、というこれはボンド映画であるという一種の呪いであり祝福でもあると思う。

 

祝福って言うのは、エンターテイメント映画なんだから、何にも考えずに派手なアクションを見て、「わー、すげー」という見かたをしてもOKっていうこと。

呪いというのは、自分のようにどうせエンタメ映画なんだから、とタカをくくって見てしまったら、その裏にあるテーマみたいなものを見落としてしまうこと。

 

そうなんですよ、自分は結局ジェームズ・ボンドはどんなにピンチになっても死ぬことないんでしょ、とアクションシーンでも完全に緊張感なしで見てしまって、逆にもうアクションシーンうざい、とまで思ってしまい、つい物語の流れを追うのがおろそかになってしまっていたんですね。

まぁ、トランスフォーマーみたいなもんですな。

だからですねぇ、この映画の最後がなんであんなシーンで終わったのかとか、あんまり考えていなかったんですよ。

もう、あ~、やっとこのうるさい映画終わった、みたいにしか思っていなかった。

でも、実際には結構ボンドについてはち密にその心理描写などが行われており、この映画は前半である「カジノロワイヤル」とワンセットとして一つの物語であることになかなか気づけなかった。

何より話がなげーよ。

アクションシーンカットでいいよ。

最後の大爆発シーンがなんで必要なんか、そんなの考えないって(笑)

コメディだから最後はドッカーン! でもいいとは思うんだけどね。

だからアクションシーンを出し過ぎで、本当に見てもらいたいものが伝わりにくくなっていると思う。

もしかしてそれは意図的にやっているのかもしれないけど。

 

いや、実際この映画見て本当にお話を追っかけられている人ってどれぐらいいるんでしょうかね。

今回の映画では”復讐”というキーワードがとにかくたくさん出てきており、自分以外の人物の復讐を通じて、ボンドが己の中の復讐とどうけりを付けるのか。

この映画のラストのシーンも前作「カジノロワイヤル」の冒頭のシーンと対になっていて、これでひとつの円環として出来上がっているのに、アクションシーンでお腹いっぱいになってしまってそういうことに気付かない自分のバカさ加減に父ちゃん情けなくって涙も出ねぇわ。

 

まぁそんなわけで、これからもとりあえずは「スカイフォール」も見ていくつもりなので、そこいらへんを反省してこの先がどうなるか見ていきたいんだけど……

上映時間長すぎなんだよ……