●続・別子銅山☆間違えたけど楽しかった。
こちら の続きです♪
マイントピア別子で「別子銅山」についてざっくりとお勉強したわけですが、
さてこれから、その遺跡を見に行ってみましょう。
天空の城ラピュタみたいな、マチュピチュみたいな、天空世界の町の遺跡!
あの風景が見たかったんです。
・・・・だけど、私間違っていたんです。
もっと地図や地名をよく見ればよかったんです。
私は、ルンルン気分の軽い気持ちで観光に来ただけなのに、
なぜか登山をすることになってしまったんです・・・
その登山の先に、あの赤いレンガのマチュピチュ的な遺跡があると信じて疑わなかったのです。
でも、あとから全てがわかりました。
場所が違うことに・・・・!
ひとことに別子といいましても、かなりの広域なわけでして
時代とともに色んな場所に拠点を移したりもしたわけです。
別子初心者の私が今回行くつもりでいた場所と、実際に行った場所がちょっと違う場所だったのです。
とにかく、前もって書いておきますね。
私は登山をするつもりはなかったんです。
家を出るときなんか、ヒールのサンダルで出る気でいたくらいです。
でも、どうせ観光で歩きまわるならと思って、楽ちんなクロックスで来たんです。
でも、念のためにスニーカーを車に積んでいたから良かったものの・・・。
まぁ、前置きはともかくとして。
初めて来た、別子ライン。
途中工事をしていて通行止めでした。
1時間に10分間だけ通行できるようです。
待ち時間に、ほんとはマチュピチュで景色を見ながら食べようと持ってきていたお弁当を食べて、過ごしました。
登山道を登り始めてから、駐車場を振り返りました。
このときの私、
「へ~あの天空遺跡マチュピチュ的に行くには
みんなこんな山を登って行ってたんや~
私なめてたわ~。」
駐車場に居た人を見ると、みなさん本格的な登山ルックなのです。
そんな様子を見て、
ちょっとびびった私はクロックスを脱ぎ捨て、後部座席に積んでいたスニーカーに履き替えたのです。
登りはじめてすぐに、別子ダムがちらりと見えました。
道も整備されてるし、平坦なかんじだし、これなら大丈夫そう♪(と思ったのも最初だけですけど)
すぐにこのような大きな石積みが現れます。
びっしりと作りこまれた石積みは巨大で迫力ありました。
最初は確か、お墓だった場所でした。
苔むしていてかなり風化している様子です。
このあたりは「小足谷集落の跡」で、当時はたくさんの商家が軒を連ねていたとか。。
社宅やクラブなどもあったとかなかったとか?いや、あったらしいとかで。
こ、ここにですよ!
こんな山の中に!
↑軒を連ねていた様子!
すごい、こんな山の中にたくさんの建物が建ってたなんて信じられません!
一番多いときには、12,000人の人々がここに住んでいたというのです!
はるか高くまで積み上げられた石積み。
きれーに角がそろっていて素晴らしいです!
しばらく行くと、これまた凝ったレンガ造りの塀が現れました。
ここは明治に入ってから、各界の要人が宿泊したりする接待宿だったそうです。
当時、建物の中はさぞかし小奇麗で品のある場所だったのでしょうね。
は~~~なんか、思いを馳せるわ~。
ここは小学校のあと。
見下ろしたらこんなかんじです。
石垣の上の広いスペース、たくさんの木がたっていますが、
ここも学校だった場所です。
山林課や土木課があったそうです。
さらにここは劇場としても使われたそうです。
はるばる京都から歌舞伎の名優を呼んだりもしていたとかで。
この石積みの上には、このように立派な建物が建っていたのですね。
途中何度も川を越えたりしながら歩きます。
綺麗な透明の水が流れる美しい渓谷なのですが
当時はさぞ、汚れた川だったのだろうか。
最初はまさか山を登るつもりはなかった私ですが、
「こんな登山なら楽しい!」と思えるようなお山歩きとなったのです。
景色を楽しみながらの登山も良いですが、ひとつひとつの場所、歩いてるこの道が
何十年か前までは生活の場になっていたのかと思うと
想像しながら、思いを巡らせながら、ロマンに浸りながら歩くのってすごく楽しいのです。
そうこうしながらたどり着いた場所は「ダイヤモンド水」です。
ネーミングの素敵さと、カラカラに乾いた喉を潤せる湧き水に感動です!
なぜ「ダイヤモンド水」というのかというと、
新たな鉱床を探すために、ボーリング調査をしていたら
予定の地中まであともうちょっとのところで水脈に当たってしまい、大量の水が吹き出たそうです。
そのときに、地中に穴をあけていたロッドの先端がねじ切れて、
先端部の素材のダイヤモンドがそのまま地中に残されたことからこの名前なんだとか。
冷たくて、クリアーなおいしいお水でしたよ♪
さて、そんなかんじでとことこ山道を登り続けること1時間。
ほんとに、この先にマチュピチュがあるの?・・・
心なしか不安を抱きつつ。
携帯で調べてみようかと思ったのですが、あえなく圏外・・( ̄ー ̄;
すれ違う本格登山ルックの人に、この先に何があるのか聞いてみました。
「歓喜抗」があるらしいんです!
そうなのね、あの歓喜抗があるのね!ヘ(゚∀゚*)ノ
この別子銅山が最初に始まったあの歓喜に沸いた歓喜抗が!
やっぱりそうなのね、歓喜抗の場所があのマチュピチュに違いない。
と、勝手に思い込んだのです。といか、思い込まずにはいられませんでした。
しかしながらすれ違う本格登山ルックの人の視線が、一瞬私の全身を確認する、
その瞬間を見逃しませんでした。。
だって登山する気のなかった私は、手ぶらで浮かれポンチな普段着でしたカラ。。。
別に山を歩けなくはないですけど、
かろうじてスニーカーを履いていてほんとに良かったと思いました。
道中、中には岩をよじ登るような悪路もありましたし、急斜面や、足元も岩でゴツゴツですので
サンダルで来なくて良かったと心底、思いました。ε=(。・д・。)
石段を上ってゆくと・・・
かつてここには「大山積神社」があったそうな。
このような立派な神社が。。!
このあたりにも、料亭や小学校や郵便局、川の向こうには住友病院もあったとか!
ひえ~~!
ほんとに町だ!Σ(゚д゚;)
しかも、ここまで来るのにけっこうな標高を上がってきましたが、
まさかそれほどの町があったとはやはり信じられない思いです。
そしてついに!
人々が歓喜に沸いた「歓喜抗」に到着しましたーー!
おとなりには「歓東間」も!
この「歓東間」の存在はこのとき初めて知りました。
言ってみればこの2つの入り口を中心にして掘っていたそうです。
江戸時代の終わりから200年余りも、ここを中心に、
今まで歩いてきた町が繁栄していたと思うと、感無量です!o(;△;)o
まじで「歓喜」するーーー!
登山口からここまでたどり着くのに、1時間半くらいかかりました。
そろそろ日も傾きかけています。
というわけで、歓喜抗で元気に歓喜してからさっさと下山しました。
私、わかったんです。
マチュピチュ的は、ここではなかったことに。
でも間違えて山を登ってきたことは後悔していません。
とっても楽しかったから。
ただ予定外に翌日足が筋肉痛になったというだけで。。。
歓喜抗からさらに登れば、「銅山越」まで行くそうでした。
人々は、この銅山越えを歩いてはるばる新浜の港まで、銅をかついで運んでいたそうです。
素晴らしい歴史のお勉強が出来た登山となりました。
さて、このあと日が沈む前に行かなくてはならない場所があります!
そう、今度こそあの天空マチュピチュ的に行くのです!!!
↑やっぱり見たい!(新居浜市HPより。)
つづきますね。
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