スリラー・サスペンスものであればやはり監督名に引かれて映画館に出向く。その一人はなんといってもアルフレッド・ヒッチコックである。本人はそのころヒッチコック劇場でテレビでもよく出ていたから、あのユーモアあふれる顔を記憶している人も多いと思う。また、イギリス時代から多くの映画やテレビ映画を制作してきているので、私が映画館で見た映画はごく僅かに彼の作品の一部に過ぎないかも知れないが、最初の映画は「裏窓」(1954年)であった。グレース・ケリーとジェームス・スチュアートが主演であった。グレース・ケリーは気品のある美女であったので、引退して後にモナコ公国の王妃になったこともうなずける。「めまい」(1958年)も見た。主演はやはりジェームス・スチュアートであり、主演女優はキム・ノヴァクであったが、彼女もやはり魅力のあるハリウッド女優であった。次に見たのは「北北西に進路を取れ」(1959年)である。「サイコ」(1960年)、「鳥」(1963年)も見た。とくに「鳥」では一切背景音楽はなしで沈黙のなかで事件が起きるという不気味さがある。。合成で撮影したとはいえ、一体どういう風にしてあの鳥の集団行動を撮影したか不思議だった。

 アメリカ映画としては、戦争映画も数多いジャンルのひとつである。太平洋戦争や欧州でのドイツとの戦い、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争まで多くの戦争映画があるが、私はあまり戦争映画を好まないので見た映画は少ないが、「史上最大の作戦」(1962年)だけは見た。ジョン・ウエインを西部劇以外で見ることができたからである・

 「ゴッドファザー」(1972年)を見て以来、フランシス・コッポラが監督した映画はできるだけ見ることにしたので「地獄の黙示録」(1979年)も見た。どちらにもマーロン・ブランドが主演していたという理由もある。これらはマーロン・ブランドの代表作品といってもいい。

 彼を最初に知ったのは「波止場」(1954年)という作品である。監督はエリア・カザンである。この監督の作品も忘れ難いものがある。「エデンの東」(1955年)であるり、主役はあのジェームス・デイーンである。ジェームス・デイーンといえば「理由なき反抗」(1955年)、「ジャイアンツ」(1956年)と立て続けに出演した後に24歳の若さで自動車事故で亡くなった伝説の俳優である。私より9歳上で同世代に属する俳優であった。

 

 

 このようにひとつの映画を思い出していくと、次々に私の青春時代に感激した映画が思い出されてくる。まさしく、テレビのない時代、映画はわずか100分余りのなかに自分では経験できない別の人生が濃縮されてつまっているお手本であり、娯楽でもあった。