いよいよ入学試験シーズンに入った、この季節は高校、大学を含めて本人はもとより親御さんも頭を悩まる季節である。

 私の大学在職期間を通して2月、3月は一番忙しいシーズンであった。まず、卒業予定の学生を卒業にたどり着かせるために、卒業論文という卒業のために最後の仕上げをさせる必要があった。自分できっちり、卒業研究をまとめて論文に仕上げる能力があれば問題がないが、いくら先輩の論文を見せてもそのまねができない学生がいる。日本語が上手にかけないためにてにおはから直してやらないという学生もいるからである。文系の卒業はとくに論文作成などないようだが、理系では明治時代から続いているような卒業論文を出して始めて卒業に至るという制度が残っている。

 戦前の大学は数も少なく、いわゆる向学心に燃えてしかも金銭的にも余裕のある人が進学してきた。大学は知的エリートの養成をするところであった。戦後、学生改革があっていわゆる各県の高等教育機関を集めて地方国立大学が発足した。生活が豊かになり国民が高等教育に関心を抱くようになると公立大学や私立大学を含めて新設の大学を含めてその数も増加してきた。ここまでは日本の成長を示すようなできごとであるので問題がなかった。

 問題がでてきたのはいわゆる18歳人口の減少ということである。当初は進学率、とくに女子の進学率が増えてきたので大学の入学定員と入学志望者の比率では後者が上回っていたので問題はなかったが、今の時代はその逆になり大学の入学定員を下回る志望者しかいないために大学の経営ができなくなるところが出てきている。特に、地方に新設した、文系の学部しかもっていない大学がそのようになっている。

 大学進学志望者が大学の入学定員を下回ってもなぜ進学競争が起きるかといえば、東大を頂点とする大学間の格差、さらに社会へ出てからの出身大学の学歴差が依然とてあるものと昔ながら思っている人が多数を占めるからであろう。学歴はほとんどが大学卒業であるから、学歴差はないはずである。学歴社会ではないのである。しかし、出身学歴にこだわる人が多いのである。たしかに有名大学は入学競争率が高いので、少なくてもそのような大学から採用すれば頭脳が優秀であると考える会社の人事担当者が多い。しかも、自分の後輩かも知れない。

 ここがすでに間違いなのである。有名大学に熾烈な競争を経て入学するにはたしかに大変なことであるが、これはたまたま受験技術に優れ、記憶力が強いだけである。記憶力なんでだれでも年をとるにつれて薄れる。東大法学部卒ー高級官吏などいくら今まで不祥事を起こしてきたか考えてみて欲しい。いまの社会はそんな学歴差社会や年功序列の制度から脱皮しないと国際的に負けになることが身に染みて分かり始めている。

 どんな大学に入って、どんな職業につこうとも未来は君たちで決めることである。ゆめゆめ高額な学費ローンを引きずることのないように祈る。